第20190201号
「善きものを残して手渡そう」
名古屋教会
岡本伸之
キングダム【20190201】号
「善きものを残して手渡そう」 ダビデは言った。「わが子ソロモンは、まだ若く力もない。主のために建てる宮は、全地の名となり栄となるように大いなるものとしなければならない。それで私は、そのために用意をしておく。」こうして、ダビデは彼が死ぬ前に多くの用意をしておいた。 (U歴代23:5) これは王ダビデが、後継者たるソロモンにその働きを引き継がせるときの記事です。イスラエルの歴史で数少ない成功例で、大いに学ぶべきものです。ダビデはただ簡単に「後はよろしく~」と、手渡したのではありませんでした。後のことも、主の栄光のためにしっかりと考えていたのです。彼は多くの金銀青銅や木材、軍隊や働き人などの人材を十分に用意しました。彼の献身がそうさせたのでしょう。彼は善きものを残して手渡したのです。 よくキャンプ施設では、「来た時よりも少しだけ美しく」など掲示されています。小さなことですが大切なことです。より善い状態にしないで次の人に渡され続けるなら、施設は次第に劣化して成り立たなくなってしまいます。何事もこれと同じで、後継者により良い状態で渡らないなら、いつかは成り立たなくなってしまいます。 ところで、旧約の出来事は新約時代のひな型でもあります。つまりダビデの後継者引き継ぎは、私たちにとっては教会の引き継ぎであり、また、ミニストリーの引継ぎでもあるのです。神様から使命を託され、それを全うして次の働き人に渡すとき、考えなければならないのは、「自分はより善いものを残しただろうか」ということではないでしょうか。次の人のためにも備えたかどうかが問われるのです。 教会の働きはそれ自体で尊いものです。生きがいであり喜びであり、また献身と言えるでしょう。そして、それほど主に献身しているなら、やはり主に喜んでいただきたいと願うものです。ましてや自分の後にその働きが衰退してしまうなら、または教会が衰退してしまうならどうでしょうか。「よくやった。良い忠実なしもべだ。」と言っていただけるように、主から預かったもので善い清算をしたいものです。その意識を持ちたいものです。 では、教会にとって「善きもの」とは何でしょうか。何を残して手渡せばよいでしょうか。会堂も大切でしょう。経済的見通しもなくては次の人が困ることになります。資料も整っていると助かるでしょう。ただし、これらのものは、イエス様が直接求めるものではありません。教会の使命そのものではなく、そのための助けとして重要なものです。 イエス様は地上の最後に「それゆえに、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。」と言われました。つまり、私たちの働きがキリストの弟子づくりの力となっているかどうかが問われるのです。ですから、キリストの弟子が増えるなら、「良い忠実なしもべ」と言っていただけるでしょう。弟子を残すなら、ダビデのように「多くのものを用意」できたことになるでしょう。教会の活動もその力になっているなら、その教会は衰退とは無縁な、「善きものを残して手渡す」群れとなれるでしょう。ダビデからソロモンに繁栄が引き継がれたように、キリスト聖協団も繁栄を引き継ぐ群れとなりたいものです。 キングダム2019年2月号より