第20210201号
「新たなるチャレンジ」
名古屋教会
岡本信之
キングダム【20210201】号
「新たなるチャレンジ」 イエスは目を上げて、大ぜいの人の群れがご自分のほうに来るのを見て、ピリポに言われた。「どこからパンを買って来て、この人々に食べさせようか。」もっとも、イエスは、ピリポをためしてこう言われたのであった。イエスは、ご自分では、しようとしていることを知っておられたからである。ピリポはイエスに答えた。「めいめいが少しずつ取るにしても、二百デナリのパンでは足りません。」弟子のひとりシモン・ペテロの兄弟アンデレがイエスに言った。「ここに少年が大麦のパンを五つと小さい魚を二匹持っています。しかし、こんなに大ぜいの人々では、それが何になりましょう。」イエスは言われた。「人々をすわらせなさい。」その場所には草が多かった。そこで男たちはすわった。その数はおよそ五千人であった。そこで、イエスはパンを取り、感謝をささげてから、すわっている人々に分けてやられた。また、小さい魚も同じようにして、彼らにほしいだけ分けられた。 (ヨハネ6・5〜11) ご存知のように、これは主イエスが五千人以上の人々をパンで養った記事ですが、今後のキリスト教会に示唆と励ましを与える内容です。 この団報が皆様に届くころには、新型コロナウイルスに関わる状況はどうなっているでしょうか。ワクチンや特効薬の効果が社会的に現れるには、まだほど遠いのではないでしょうか。そのようなコロナ禍にあっても、教会はその使命を果たさなくてはなりませんし、またコロナ禍によって変化した社会や人心に応じて、その癒しや回復の力になっていかなくてはなりません。つまり、コロナ禍以前の在り方では、人々に届くことが困難になっていくと思われるのです。礼拝の持ち方、交わりの在り方、祈り合う形などなど、工夫と変化が求められるでしょう。私たちはそのための分析をした上で、覚悟ができているでしょうか。 さて、前述のみことばですが、ここにはとても弟子たちでは対応しきれないニーズが立ちはだかっていました。まるでコロナ禍に疲弊した社会と人心のように。イエス様が「どこから力をもらって、この人たちにいのちのパンを食べさせようか」と問われているようです。イエス様は教会を、牧師を、そして信徒一人一人を「ためしてこう言われ」ているように思えます。そしてまた、この記事の中に希望があるのです。 この少年のように、自分の持てるものをそのためにささげる人が必要です。数量は問題ではありません。主が増やしてくださいます。ただ主のもとに、主の共同体のもとに差し出すことです。そしてそれを一旦、主イエスの御手にゆだねることです。すると主は、「感謝をささげて」聖別してくださいます。そして、他の福音書にあるように、弟子たちが配ることです。自分だけのものにしないで分かち合うことによって、増えてゆきました。 筆者自身も、長年やってきたことを変えるのは正直大変ですし、できればまた元の様にやっていきたいというのが本音です。しかし、主が「ご自分では、しようとしていることを知っておられ」るのであるなら、私たちもそれに従うことで立ち行けると思うのです。どの教会もお互い大変だと思います。励まし合いながら、癒され合いながら、本音を語りながら、新しい教会様式へとチャレンジして参りましょう。 キングダム2021年2月号より