第20220401号
弱さのうちに現される神の力
八王子教会
濱野好枝
キングダム【20220401】号
弱さのうちに現される神の力 しかし主は、「わたしの恵みはあなたに十分である。わたしの力は弱さのうちに完全に現れるからである」と言われました。ですから私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。 Uコリント12章9節 コリント教会の中にパウロを使徒として認めない人々がいました。そのような中でしたので、パウロは自らの経験、すなわち神より驚くべき啓示が与えられたことを言い表すことができませんでした。御声を聞いたことは語らなければなりません。しかし、パウロは自分の体験を語ることを不本意とし、それが誇りになることを危惧したのです。誇りは福音の邪魔になります。十字架のことばを宣べ伝える働きこそ、永続的価値ある働きであると確信していたからです。Uコリント11章で多くの苦難を乗り越えて活動していると表現しています。パウロはあらゆる障害を乗り越えて、ひたすら福音宣教に励んだのです。 世襲で持っていたローマの市民権も、神学的訓練を受けたことも、それらを持ち出して誇るということはしませんでした。神はパウロが誇ることのないように、一つの刺を与えて訓練されました。その刺はパウロを打つサタンの使いだと告白しています。刺は痛いですし、取り除かなければいつまでも痛みが継続します。取り除くにもとても厄介なものです。パウロはこの刺が取り除かれるように、必死に祈りを捧げましたが、その祈りに対する神の答えが『わたしがいる。それで十分ではないか。』(リビングバイブル)ということでした。 キリストの力が覆うとは、キリストが我がうちに宿るということです。これで十分なのです。パウロはこのような形で祈りの答えを授かり、内面に抱えていた問題を信仰によって解決できたのです。復活したキリストが我がうちに宿っているということ以上に大きな力はありません。 自分の弱さを見つけて、主に全幅の信頼を寄せていくことが力の源になるのです。弱さを卑下し、このハンディキャップがあるから。何も持っていないから。その逆に、あの人よりましだと考えて心密かに自惚れるなどの心はないでしょうか。そのような心の動きを捨て去り、断ち切ってしまいましょう。自分の弱さに気づいた時こそ私たちが神の力に覆われる絶好の機会なのです。不安定で激動する環境の中に生きている私たちは、キリストにしっかり繋がり、結びついて主イエス・キリストに神の力を現していただきましょう。 キングダム2022年04月号より