第20230601号
「祈りによらなければ」
市川教会
平塚修久
キングダム【20230601】号
ある時、弟子たちが主イエスに尋ねました。「私たちが霊を追い出せなかったのは、なぜですか」(マルコ9:28)。一人の父親が、悪霊による病で苦しむ息子を癒してもらう為に、弟子たちのもとへ連れて来ました。弟子たちが追い出せずにいるところへ主イエスが来られ、いとも簡単にその子から悪霊を追い出し、病を癒されました。この言葉は、その出来事の後に、弟子たちが主イエスにした質問です。 英国の牧師D・M・ロイドジョンズは、この物語に登場する少年の中に現代社会の姿を見、弟子たちの中に現代の教会の姿を見ました。キリスト教会は弱体化し、目の前の問題を解決する力を失い、それゆえ私たちは緊急に問う必要があると説かれました。「なぜ私たちは悪霊を追い出せないのか。何が問題なのか。失敗の原因は何か。私たちが直面しているこの状況は何と説明できるのか」とロイドジョンズは問いかけました。 弟子たちの質問に対して、主イエスはこう答えられました。「この種のものは、祈りによらなければ、何によっても追い出すことができません」(マルコ9:29)。これは、問題の種類によっては、対応の仕方を変える必要があるということを意味します。現状を問わず、同じことだけをしても何も解決はしないということが分かります。 では、どうすればよいのでしょうか?「祈りによらなければ、何によっても追い出すことはできません」。この箇所で、主イエスが弟子たちに教えたかったことは、『あなたがたは自力で解決しようとしていた。それでうまくいくと思っていた。しかしそうではない。今あなたがたは、無力を認めて、真に問題を解決するための力が必要であることを悟り、神ご自身に祈り求めるべきである』ということです。 弟子たちにできなかったことが、主イエスにはできました。なぜなら、主イエスは力を持っておられたからです。その力とは、神がお与えくださる聖霊の力です。主は聖霊とその力に満たされていたので、即座に悪霊を追い出し、病を癒すことができたのです。 私たちも、それに気付く必要があります。それを感じて必死に祈らなければなりません。今、神の霊に満たされる必要があることを知らなくてはなりません。主が、初代教会の時代と同じく、今日も私たちを神の霊で満たしてくださることを確信しましょう。 その力を追い求め、祈らなければなりません。「この種のものは」、祈りが必要なのです。 あなたは現在の状況に関心があるでしょうか。そのことについて必死に祈っているでしょうか。現在の教会に神の力が現わされることを願って祈っているでしょうか。聖霊の注ぎ以外に、二十一世紀の私たちの問題に適しているものは何もないことを覚え、祈り求めようではありませんか。 キングダム2023年6月号より