第20241001号
謙遜の限りを尽くし
清瀬教会
菅谷勝浩
キングダム【20241001】号
「私は、ユダヤ人の陰謀によってこの身に降りかかる数々の試練の中で、謙遜の限りを尽くし、涙とともに主に仕えてきました」使徒20・19 コロナ禍が明けて、特に今年に入ってから日本の教会も、様々な働きが活発になっているように感じます。宣教、伝道活動、セミナーやキャンプなどのイベントが、対面でなされていることを思う時に、顔と顔を合わせた交わり、関係の大切さを実感します。また、「みことばを宣べ伝えなさい。時が良くても悪くてもしっかりやりなさい。忍耐の限りを尽くし、絶えず教えながら、責め、戒め、また勧めなさい」(Uテモテ4・2)とあるように、どんな状況にあっても、キリストの福音を伝え続けることの大切さを教えられます。 私たちはコロナ禍を通して、教会の存在意義、主に喜ばれる真の礼拝の在り方などを主から問われ、考えさせられました。インターネット用いた礼拝や各種ミーティングは、コロナ禍がなければここまで普及しなかったでしょう。今は当たり前になっています。宣教や伝道方法、スタイルも大きく変わりました。社会問題や自然災害も、ここ数年急速に悪化していることを、私たちは手に取るように感じています。 私たちは、世の中の変化や身の周りの変化につい目を向けがちです。どんな時代でも決して変わらない福音やみことばの真理があることは言うまでもありません。今こそ、主との関係において、みことばを通して得ることができる揺るぎない信仰の土台を求めようではありませんか! 与えられた「みことばや祈り」を通して、個人的に主ご自身が何を語ろうとしているのかを問うてみてはいかかでしょうか。 また、教会の働きが活発になり、主が新しい魂を送ってくださっています。伝道とは、ただ教会員の人数を増やすためではありません。失われた人を探して救うためです。そこに教会が存在している使命があります。この使命を果たしていかなければ、教会の存在価値は薄れてしまいます。 主の使命に私たちが一致していく。そのような時こそ、謙遜になることの大切さを教えられます。それはパウロの使徒としての働きにもみられます。謙遜と涙、試練の中で主に忠実に仕えた信仰のモデルでもあります。特に「謙遜の限りを尽くし」た、それがパウロ自身の変わることのない動機であるならば、私たちも互いに謙遜さを信仰の中心としていくときに、キリストの体としての教会がさらなる主の栄光を現すことになるでしょう。 キングダム2024年10月号より