第20241201号
何とかして、何人かでも
名古屋教会
岡本伸之
キングダム【20241201】号
パウロは伝道などに関して、「 弱い人たちには、弱い者になりました。弱い人たちを獲得するためです。すべての人に、すべてのものとなりました。何とかして、何人かでも救うためです。 私は福音のためにあらゆることをしています。」(一コリント9・22〜23)と言っています。確かにユダヤ人伝道の論点と、アテネ宣教の論点は違っています。為政者への語り方も違います。つまり、工夫があるということです。真理を語るのだからと言って、同じことを繰り替えしてはいないのです。 当然牧会においても、その手紙を見るとそれぞれの教会に対して違う主題で書いていることがわかります。当然のことです。教会の実情、世の中の状況などに合わせて、一番必要なことを書いています。その中で具体的な指示もしています。教会は同じことをすれば良いとは考えていないのです。 もしもパウロが今の日本に生きていたらどうでしょう。間違いなく、伝道でも牧会でも様々な工夫をすることでしょう。どんな人々に伝えるのか、どのような状況にいて、どのような霊的状態の人を導き励ますのかと、日々考えながら奮闘することでしょう。そう考えますと、私たちの教会ではどうか、自分の働きはどうかと省みる必要がありそうです。 リック・ウォレンは著書『健康な教会へのかぎ』の中で、目的が明確でない教会の一つの特徴として、年間行事をこなすことで完結してしまう様子をあげています。私たちはルーティンや年間行事をこなすだけで、完結していないでしょうか。今現在、関わっているたましいの様子を知り、主の導きを見極め、チャンスを生かして伝道や牧会をしているでしょうか。 牧師の在り方が問われます。とはいえ教会というものはクリスチャンの集まりで成り立っています。ですから私たちクリスチャン一人一人の工夫と奮闘も教会の在り方につながってゆきます。牧師はそのような信徒の様子を感じて励まされつつ提案することになります。一人一人が「何とかして、何人かでも救うため」工夫と奮闘してみましょう。そしてそのチャレンジを分かち合い、祝い合い、励まし合う教団でありたいものです。 キングダム2024年12月号より