第18回  赦し

基督聖協団名古屋教会    裾分亜呼     

 私には、愛情深い両親と優しい兄がいます。私は子どもの頃、自分がどんな時も愛されるべき価値ある存在だと思っていました。
 しかし、小学校の高学年になり、私のセルフイメージはどんどん悪くなっていきました。それは、ある出来事を通して、私の心の中に「人を赦せない」という気持ちが生まれたためでした。誰にも相談できず、その思いを隠すかのように、周囲に対して明るく振る舞い続けたのですが、いつしか私は、元気な自分を演じている自分自身に嫌悪感を抱くようになりました。
 それから6年が経って、私は大学生になり、いつしかクリスチャンサークルに足を運ぶようになりました。「何があったかは言えないけど、私の心には傷があって、今でも辛い」。私が初めて自分の内面にある痛みを口にした時の事です。クリスチャンの先輩は「人には心の傷は治せないかもしれないけど、亜呼ちゃんをお造りになった神様なら治す事が出来るよ」と教えてくれました。その時、私は初めて「私を造った神様」の存在を意識しました。先輩はその時『(1)神様は私を愛しておられ、個人的に神様を知る事が出来るように私を造って下さった事。(2)しかし、私には神様の目から見て罪があるため、神様との深い断絶があり、神様を知る事も、神様の愛を体験する事も出来なくなっている事。(3)私の罪の問題の唯一の解決がイエス・キリストであり、イエス様を通して神様を知り、神様の愛を体験する事が出来るという事。(4)最後に、イエス様を罪からの救い主、人生の導き手として、個人的に自分の心に迎え入れる必要がある』という事を話してくれました。
 私はそれまで、自分が罪人であるとは思った事もなく、神様が聖書を通して、私の心の中にある憎しみや怒りが、神様の目から見て「罪」だという事をはっきり教えて下さいました。私のどろどろとした心の罪のためにイエス様が十字架で死なれ、復活された事、つまり私の過去・現在・未来の全ての罪がイエス様の十字架によって赦され、死後も魂が神様のみもとに行けるという聖書の約束を信じる決心をして、イエス様を心にお迎えしました。このようにしてイエス様を心に迎え入れたのですが、数カ月の間は聖書も読まず、教会にも行かず、生活も何ら変わりませんでした。
 しかし、憐れみ深い神様は私をそのままにしておかれませんでした。サークルの春のキャンプに参加した時、あるみことばが与えられました。

 「何事でも神のみこころにかなう願いをするなら、神はその願いを聞いてくださるということ、これこそ神に対する私たちの確信です」(1.ヨハネ5:14)。
 私はその晩「神様、私の心にある、人を赦せないという罪を赦して下さい。どうか赦せる心につくり変えて下さい」と初めて熱心に祈りました。その次の日、私は「赦したよ」と直接相手に伝える事が出来ました。私は今でもその時の喜びをはっきりと覚えています。自分でいくら頑張っても赦せなかった気持ちを、神様がつくり変えて下さったのです。私にとってそれは、神様が起こして下さった奇跡でした。
 また、イエス様を心に迎え入れた後の変化として、私は思い煩う事がなくなりました。もちろんイエス様を信じ受け入れたからといって、問題が起こらなくなるわけではありませんが、この世界を造った全能の神様が、色々な出来事を通して私に最善をなして下さるという確信が与えられています。聖書にはこう書いてあります。
 
「わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ。主の御告げ。それはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ」(エレミヤ29:11)。
 これからの人生も神様と共に歩める事を感謝します。

キングダム2003.9月号より