第26回 教会を建て上げる 万人祭司を達成したい
国際クリスチャンバプテスト教会(ICBC)牧師  石 原 良 人   

 「しかし、あなたがたは、選ばれた種族、王である祭司、聖なる国民、神の所有とされた民です。それは、あなたがたを、やみの中から、ご自分の驚くべき光の中に招いてくださった方のすばらしいみわざを、あなたがたに宣べ伝えるためなのです」(第1ペテロ2章9節)

 〈万人祭司の夢〉

 万人祭司は、ルターたち宗教改革者が、命を賭けて勝ち取ったはずの霊的遺産の中核です。当時ローマ教会は、一般人が独自に聖書を読んで解釈することができないようにと、公用語に翻訳しようとしませんでした。それを宗教改革者たちが、ドイツ語と英語に翻訳した時、神のために新しい時代がやってきました。自分自身で聖書を読み、考える時、人間の権威ではなく、聖霊がやっと個人のうちで働く環境が設定できました。渇いた心を持つ人のうちに、神ご自身が働かれる、いわゆるリバイバルがどこで起きてもおかしくない環境設定です。聖書が個人に渡り、読まれることが、巨大なカトリック体制の中核にいる人々には、どんなに許せないことかが想像できるでしょうか?宗教改革者たちによって、カトリックのピラミッド体制が揺さぶられ、民衆が自分たちの管理から離れていくのを片目で見ながら、中枢部は必死で迫害を加え、止めさせようとしました。当時、カトリックのピラミッド体制が行った最大の悪は、万人祭司の阻止であり、教皇が神に成り代わり、彼のメッセージに権威を集中させたことで、万人が神から直接み声をきく機会はなくなりました。
  3年前、スイスを旅しながらカトリック聖堂のような建物を幾つか見かけたので、現地の友人に質問しました。「これはカトリック教会ですか?」「いいえ。この地域にある聖堂は、ツィングリ派の教会です。」宗教改革者たちも万人祭司説を説きましたが、万人祭司を実現できないまま、中央集権体制を再び敷きました。宗教改革は、改革しきれないまま、次の世代に渡され、実際の万人祭司はまたもや遠のきました。
  世界を見る時に、チャーチプランテイングムーブメントが様々な国で起こっています。神ご自身が再臨に向けて、御国を一挙に拡大しておられるようです。実はこのムーブメントは、明らかに万人祭司を見事に実現させており、信徒が自分でセルグループレベルの教会を起こし、それが再生産しているので十一月に私たちは、セルチャーチグローバルサミットをアジアのどこかの国で持っていますが、その時、このムーブメントのリーダーたちが沢山やってきます。万人が祭司になるためには、教役者たちが、プライド、支配欲から解放されなければなりません。自分の欲ではなく、神の御国が広がることを欲とするまで、御心を追い求める必要があります。支配欲を手放し、信徒たちが自立できるように促さない限り、万人祭司はあり得ないからです。
  私は夢を見ています。もし、日本で万人祭司に近い体制が確立され、それが再生産されるならば、日本を30年足らずでキリスト教国にすることができると信じるからです。パウロのしたことが、その実例です。彼のミニストリーは、万人が弟子、祭司になり、それが増殖して行ったのです。

 〈初代教会と現代教会の大きな違い〉

  万人祭司の神学的根拠を説く時に、第1ペテロ2章9節が良く用いられます。すべてのキリスト者が、「選ばれた種族」「王である祭司」「聖なる国民」「神の所有とされた民」というアイデンティティを受けていることは良く言われますが、後半はあまり注目されていません。聖書は何と言っているでしょうか?私なりに言い直すとこんな感じです。「あなたがたは、やみの中から、驚くべき光の中に入れられた素晴らしいみわざを体験しています。」そうです。初代のキリスト者は、やみの中から、神の光の中に入れられたという体験を誰もが持っていたのです。別の言葉にすると、誰もが神に出会うという体験をしてからイエスを主として、救い主として信じるようになったのです。神に出会って信者になった者と、知識だけで信者になった者は、根本的に違います。現代教会はどこからずれたのか、イエスを体験するよりも、知識を教えられ、体験なしで信仰に入った人がほとんどです。その場合、知識という理性で信仰を持ったので、成長もまた知識に頼ります。
  万人祭司を実現するには、三つの方面から取り組む必要があります。一つは、一人一人が神を体験して信じる体制を作ること。もう一つは、牧師サイドで、平らなリーダーシップを追い求めること。更にもう一つは、一人一人が自らをリーダーと自覚し、責任感を持つことです。


キングダム2004年1月号より