| 「私たちの交わりとは、御父および御子イエス・キリストとの交わりです。私たちがこれらのことを書き送るのは、私たちの喜びが全きものとなるためです」(气ハネ一・三〜四)
習志野教会に赴任して、早四年が経ち、振り返ると「光陰矢のごとし」です。この四年間「キリストの教会を建て上げる」事に集中して来ました。具体的には、弟子訓練、セルグループ、ミニストリーグループの確立であり、その結果が教会の将来を大きく左右します。そういう意味で、今年は大切な年と言えます。しかし「言うは易し、行いは難し」で、真の教会が建て上げられるためには、真の交わり、「光の交わり」が必要です。光は全てを明るみに出し、秘密は存在しません。私たちと神さまとの交わりが光の交わりになれば、何と素晴らしい事でしょうか。神さまは「あなたのその悪さは、わたしの赦しと愛の限度を越えています」とは、言われません。神さまは、私たちがどのような状態にあろうとも、常に赦し、愛し、励まし、建て上げて下さいます。私たちもこの交わりに入れれば、何と素晴らしい事でしょうか。
イエスさまは弟子たちの足を洗われた時「もしわたしが洗わなければ、わたしとあなたとは何の関係もありません。あなたがたも互いに洗い合いなさい」と言われました。身体で一番汚い部分は足です。一番汚い部分を洗い合う事により、光の交わりに入る事ができるのです。足を洗い合う場合、二人とも身を低くしなければなりません。一方は汚い足を見せ、一方は跪くのです。日本人の得意技である本音と建前、表面だけの交わり、恥の文化に浸っていたなら、聖書の「光の交わり」の領域には入れません。私たちが真にみことばに聞き従い、イエスさまの弟子になれば、皆が一番願っている「教会を何とかしたい」との祈りが現実のものとなります。
神さまは私たちに完全な救いを下さいました。神さまにとって「わたしには難しすぎる。解決できない」という問題はありません。まず「神さま、一番汚い足を、兄弟姉妹と互いに洗い合える者として下さい」と祈り始める事が大切ではないでしょうか。
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