「思い違いをしてはいけません。神は侮られるような方ではありません。人は種を蒔けば、その刈り取りもすることになります。自分の肉のために蒔く者は、肉から滅びを刈り取り、御霊のために蒔く者は、御霊から永遠のいのちを刈り取るのです」(ガラテヤ書6章7節〜8節)
神は、私たちが自分の思いや道(裁く思い、偽り、誓い、赦せない思い)を捨てる(悔い改める)なら、神の道と神の思い(真理)を与えて下さいます。そして神が与える種に雨(祝福)を降らせ、実を結ぶようにして下さいます。
「雨や雪が天から降ってもとに戻らず、必ず地を潤し、それに物を生えさせ、芽を出させ、種蒔く者には種を与え、食べる者にはパンを与える。そのように、わたしの口から出るわたしのことばも、むなしく、わたしのところに帰っては来ない。必ず、わたしの望む事を成し遂げ、わたしの言い送った事を成功させる」(イザヤ書55・10〜11)。
この章の残りの部分では、私たちの刈り取りが変わってくることが記されています。
「まことに、あなたは喜びをもって出て行き、安らかに導かれて行く。山と丘は、あなたがたの前で喜びの歌声をあげ、野の木々もみな、手を打ち鳴らす。いばらの代わりにもみの木が生え、おどろの代わりにミルトスが生える。これは主の記念となり、絶えることのない永遠のしるしとなる」(イザヤ書55・12〜13)。
イザヤ書五五章には、まさに「祈りのミニストリー(キングダム1月号‐主を求めよ…その一‐参照)を通して起こることが鮮やかに描かれています。人々は自分の罪を悔い改め、神の愛と赦しとを受け入れ、本当に喜びの声を上げて帰って行きます。そして、それらの人たちの今後の人生における刈り取りも、これを境に大きく変わって行くと私たちは信じています。神さまのみことばは真実だからです!
ある一人の若い女性が、この証しを掲載するのを許可してくれました。
彼女は、十一歳になる娘を愛することができずに悩んでいました。彼女には息子もいて、その息子には愛情を表すことができるのですが、しかし、娘が抱きついてきたり、そばに来ると、怒って押し退けてしまうのです。彼女はクリスチャンになったばかりで、自分のしていることがキリストに似た姿ではないこと、また、娘が本当に心を痛めていることに、非常な罪意識を感じていました。
私は彼女に「あなたが幼い頃、あなたと両親との関係はどうでしたか?」と尋ねました。すると彼女は、実は自分が私生児だったこと、彼女の父親は、別の女性との間に家庭を持っていて、彼女が生まれたがために最初の妻と離婚し、彼女の母親と再婚したことを話してくれました。その彼女が六歳になった時、両親は離婚しました。彼女の母親は、子どもたちを養い育てるために働きに出かけなければならず、そのため彼女は、幼いながらも家のいろいろなことをしなければなりませんでした。彼女の母親は、彼女の心の拠りどころとなることができず、彼女に愛情を示すこともなかったと言います。
その若い女性は、ともに祈っていく中で、自分がいかに両親によって傷つけられてきたかがわかってきました。
そうした傷と怒りから、自分が生まれたがために幸せな家庭を崩壊させてしまった自分の存在、そんな自分自身を裁き、また、自分に大きな責任を押し付けるだけで、求めていた愛を示してくれなかった両親をも裁きました。彼女はそうやって母親を裁くことで、女性全般に対して裁く思いを持つようになっていきました。それが彼女の問題の「根」だったのです。
さらに詳しく彼女に質問をしていく中で、彼女は女性との付き合いが苦手なこともわかりました。子どもの頃、学校に友だちがいたかどうかを尋ねると、学校の女の子たちを好きになることができず、友だちを作るのが難しかったという返事でした。大人になってからも、女性と親しくなるのが困難でした。つまり、彼女は女性全般に対して心を閉ざしてしまっていたために、自分の娘に対しても心を開くことができなかったのです。
聖霊さまは、両親に対して赦せない思いと苦々しい裁く思いとを抱いていたこと、また、過去の痛みに自分がしがみ付いていたことを彼女に示してくださいました。私は、そのことを主に告白する祈りへと彼女を導きました。彼女は、悔い改め、赦しを受けました。また、彼女は、母親と父親を赦すことを選び取り、主に「心を癒してください」また、「娘を愛し、受け入れることができるように助けてください」と祈りました。そう祈った後、自分の肩から大きな荷物が取り去られたようだと彼女は言いました。
翌日、彼女はとても喜んでいました。素晴らしい報告をするのが待ちきれない様子でした。彼女は初めて娘を膝に乗せ、抱きしめ、娘に向かって「愛しているよ」と言うことができたのです。
すべての祝福の源であられる神を褒め称えます。
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