第40回 「首を引っ込めるのを忘れないで!」
ロバート&キャシー・フェットバイト 

 神様に心を探ってもらいましょう。首を引っ込めるのを忘れないように!

「神よ。私を探り、私の心を知ってください。私を調べ、私の思い煩いを知ってください。私のうちに傷のついた道があるか、ないかを見て、私をとこしえの道に導いてください」(詩篇一三九・二三〜二四)。
 
 二、三週間前にある朝祈っていると、主から三つの事が示されました。一つ目は、激しい迫害の季節が来る事。次に、二つ目は、主による刈り込みの季節が来る事。三つ目は、それと同時に、踊りの季節が来る事です。この三つは面白い組み合わせです。私は思い巡らしました。これらの三つの事は、互いにどう関係していて、また、それは一体何を意味しているのだろうかと。
 神様は教会をきよめ、建て上げ、力づける時を用意して下さっています。大いなる収穫の時が迫りつつあります。私たちはそのための準備をしなければなりません。神様はいつも、その熟練した御手により、これからなさろうとしておられる事のために教会を精錬し、備える事をなさります。今がその時なのです。止める事のできない揺さぶりが始まっています。それを見る目と聞く耳を持つ者にとっては、素晴らしい事ですが、悟らない者にとっては恐ろしい事です。
 このような時代に生きている事は、何と素晴らしい事でしょうか!セラ(ここで立ち止まって、少し思い巡らしてみましょう)。
 迫害を期待して、それを待ち望む人は誰もいません。しかし、迫害は必ず起こる事です。イエスの弟子たちも、その事をよく知っていました。神様が目指しておられるのは、私たちの信仰の成熟です。詩篇五一篇は、ナタンによってバテシェバとの罪を指摘されたダビデが、その応答として詠ったものです。彼は、神が私たちに求めておられるのは、砕かれた、悔いた心である事を知っていました。(主よ。私自身の心の罪深さを示して下さい。そうすれば、私も砕かれた、悔いた者となる事ができるでしょう。)

「神へのいけにえは、砕かれたたましい。砕かれた、悔いた心。神よ。あなたは、それをさげすまれません」(詩篇五一・一七)。


 「砕かれた」というヘブル語は、「ダカー」と言い、これは文字通り、砕かれた、潰された、低くされたという意味です。
試練や困難や迫害を通して、私たちは粉々に砕かれていきます。このプロセスを理解する人にとっては、苦しみを味わいつつも、神様がしておられることに対して喜び踊る事ができるのだと、主は私に示して下さいました。
 今朝キャシーと私は、私たちの住んでいる地域の牧師やリーダーたちと祈った後、一緒に朝食をとりました。その中の一人は、金の採掘の仕事をしています。私たちが住んでいるのは、山の多い地域で、銀や金鉱で有名です。その殆どはすでに採掘済みですが、まだ取り残しも多いという事で、再採掘の価値があるというのです。その人は、採掘のプロセスを説明してくれました。ほんの僅かな価値ある金を手に入れるために、重い高価な機械によって何千トンもの岩や土地を取り扱います。このプロセスで重要なのが、粉砕する事です。そしてそれから洗浄します。するとやがて金だけが選り分けられていきます。しかもその後も、売り物になるまでには、細かな精錬作業を経なければなりません。
 このプロセスを見ると、クリスチャンの歩みと、金の採掘との間には、多くの類似性があります。私たちも精錬されなければなりません。大いなる収穫の時の助け手となれるように、神様は私たちを整えておられるのです。
 あなたはその準備ができていますか?あなたは神様によるプロセスに自分自身を委ねていますか?
神様は私たちの内側に何を探しておられるのでしょうか?前回の号では、クリスチャンの心にある不信仰の領域について書きましたが、信仰によらないものは罪です。
信仰がなくては神に喜ばれる事ができません。

「しかし、疑いを感じる人が食べるなら、罪に定められます。なぜなら、それが信仰から出ていないからです。信仰から出ていないことは、みな罪です」(ローマ一四・二三)。


「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと、神を求める者には報いてくださる方であることとを、信じなければならないのです」(ヘブル一一・六)。


  精錬の目的は、価値なきものの中から価値あるものを選り分ける事です。ヤコブとヨハネは、次のように語っています。

「私の兄弟たち。さまざまな試練に会うときは、それをこの上もない喜びと思いなさい」(ヤコブ一・二)。


「愛する者たち。あなたがたを試みるためにあなたがたの間に燃えさかる火の試練を、何か思いがけないことが起こったかのように驚き怪しむことなく…」(气yテロ四・一二)。

 
 神様は、癒されていない心の傷、人を裁く苦々しい思い、偽りを信じ込んでいる部分や、自分の力、思いによる決意や誓いを、心の内に探られます。これが心に潜んでいると、それを足がかりとして敵が私たちの人生に侵入してくるからです。
 砕かれた心で歩む時、私たちは造り主であり、贖い主であるお方を崇め、礼拝し、賛美を捧げずにはいられなくなります。また、そうする事で、私たちは踊り出したくなるのです!
 もし、このような精錬のプロセスについてさらに詳しく知りたい方は、ジョン&ポーラ・サンフォード著「家族の回復」と「内なる人の変革」(マルコーシュ出版)をお読み下さい。素晴らしいスタートとなる事でしょう。


キングダム2005年5月号より