第43回  「聖書が教える霊的機能」
ロバート&キャシー・フェットバイト 

  私は子供時代に辛い人間関係を経験しました。父がアル中で母は躁鬱病であったため、家庭の状況は私にとって非常にストレスの多いものでした。そのため私は、自分の空想の世界に引きこもる事で、このような辛い環境から逃避する事を覚えました。「現実逃避」の習慣により、私の霊の多くの領域が眠りに落ちてしまいました。
 私の家族は週に二、三回教会活動に参加していましたが、私はキリストとの個人的な繋がりを持っていませんでした。ようやく主との個人的な出会いを体験した時、まさに「目からうろこ」が落ち、見えるようになったのです。目が開かれると、人生の全てが前とは違って見え、圧倒的な神の臨在と愛が感じられるようになりました。
 その後、私がさらに目覚めていくのには何年もかかりました。今でも自分の鈍感さを思い、まだ眠っている領域がいくつかあるとわかります。人間は皆目覚めていない部分をどこかに抱えていて、完全に目覚めた人として生きたのは、イエス様だけです。 
  霊が目覚めている人は、

創造主なるお方を知る事におのずと引き寄せられる。
人々と共に主を礼拝したいと強く願い、そうする事ができる。
神との個人的な交わりを維持し、喜ぶ事ができる。
神の御声を聞き、神からの啓示を受ける事ができる。
健康であり、健康を維持する事ができる。
独自の洞察やひらめきを発揮できる。
過去・現在・未来という時間の流れの中で物事を捉える事ができる。
成熟した良心を見出し、維持し、働かせる事ができる。
人と共感する事ができる。
夫婦間で素晴らしいセックスを体験できる。


 最初の3つの機能は、真の神との関係と、信者同士の交わりについてです。ローマ書一章は、神から離れた人間に対する神の怒りについて語っています。まず、人の思いはむなしくなり、次に鈍くなり、やがてその愚かさから心が暗くなっていくとあり、そして、人は神の御栄えを、不自然のものと代えてしまいました。鈍く、暗くなった心が眠っている霊を作り出し、眠っている霊がさらに心を鈍く、暗くするようです。
 霊が眠っている人のために祈ると、主は何らかの素晴らしい霊的体験を通してその人の霊に目覚めを与え、真の神を知りたいという思いに駆り立てます。主を個人的に知れば知るほど、さらに深く主を愛するようになり、それによって、さらに御言葉を学び、祈る時間を持ちたいと願うようになります。 
 ヘブル人書十・二五に、一緒に集まるのをやめたりしないようにとあります。霊が眠っている人は、他の信者と集まる事に価値を見出せません。「教会に行く事に抵抗があります。つまらないし、歌う事が好きではありません」と言う人によく出会います。エペソ書五・一九には「主に向かって、心から歌い、また賛美しなさい」とあります。霊が眠っている状態の人は、霊が目覚めている人との関わりを避けます。礼拝や聖書の学び、クリスチャンとの交わりが中心の集いは、なおさらです。だからこそ、ヘブル十・二五が書かれているのです。
 4つ目の機能は、主の御声を聞く能力です。ヨハネ十・二七で主は「わたしの羊はわたしの声を聞き分けます」と語られました。多くのクリスチャンは、主は私達に語りたいと願っておられる、という事を聞いた事があります。けれどもほとんどの人は、そのような体験をした人の話を聞くだけです。もし、あなたも主の御声を聞きたいと願うなら、祈りのミニストリーを受け、眠っている霊を目覚めさせましょう。そうすれば、神からの語りかけを自分でも受け取る事ができるようになります。                                                                 
 5つ目は、私達の霊の健康状態は、体の健康状態と直接的に関係しています。箴言一八・一四「人の心は病苦をも忍ぶ。しかし、ひしがれた心にだれが耐えるだろうか」とあり、また、箴言一七・二二には「陽気な心は健康を良くし、陰気な心は骨を枯らす」とあります。もし私達が霊の健康に気をつけるなら、いったいどれほど多くの病気を避ける事ができるでしょうか。
 今日も私は、父親が通風で苦しんでいる人と話していました。私はこの御言葉を分かち合い、病をもたらす原因となる苦々しい思いや赦さない心がないか尋ねました。彼は自分の父親についてはわかりませんでしたが、父方の親戚には通風持ちが多い事に思い当たりました。そこで私達は、家系に流れる罪と病のパターンが打ち砕かれ、傷ついた霊が癒されるようにと祈りました。
 6つ目の独自の洞察や創造力は、人が神の似姿に創られた時に授かった能力です。神から離れた人間でさえその創造的な力を発揮できるとすれば、全ての源であるお方と繋がりを持ち、霊が目覚めている人の可能性は計り知れない事でしょう。
 数年前、クリスチャンミュージシャンのグループが新しいアルバムを作成しようとしました。彼らは、もし目覚めた霊が真の創造力を発揮するのならと十日間断食し、神に霊感を求める事にしました。そのグループ「キャンドル」が作ったアルバムには、今でも私が一番気に入っている賛美がいくつか入っています。
 7つ目に関してですが、ある時、クレジット会社とトラブルになった人の話を聞きました。彼はカードで幾つかの物を購入し、翌月その請求書が届いたが、彼はその紙を捨てました。数ヶ月後、クレジット会社が未払い金を回収するため、彼の家に出向きました。すると彼は、集金人が現れたという事で腹を立てました。彼の頭には、カードを使う事と、買った物に対して支払いをしなければならない事をつなげて考える能力が欠落していたのです。これは霊が深く眠り込んでしまっている人の例です。
 7つ目と8つ目の機能は、互いに深い関係があります。健全に機能している良心は、罪を犯す前に、その行為がもたらす結果に思いを巡らし、自分がしようと思った事を悔やみ、思いとどまるように働きます。現代の文化において最も悲しむべき事の一つは、意図的に人を傷つけながら、何の後悔も神から来る悲しみも感じない事です。良心の声を無視し、軽んじるなら、やがてその機能は失われていきます。テモテ三・一〜十二は、霊が眠っている人と目覚めている人を対比させて語っています。「知性の腐った」とは、良心がない人の事です。ペテロ三章も、時をわきまえる事を怠り、やがて来る裁きの警告を嘲笑う人について語っています。
 9つ目については、主は「良きサマリヤ人」の譬えを通し、パリサイ人達に自らの眠っている霊を気づかせようとされました。神を愛していると言いながら、隣人に憎しみを持つ事は、真理に沿っていません。本物のキリスト教信仰は3つの重要な要素に根ざしています。
 第1は、神こそが神であり、私達は神ではないと理解する事です。これを詩篇五一篇では「悔いた心」と表現されています。第2は、神から来る「あわれみ心」を現わす事です(ローマ一二・一五)。あわれみの心とは、単なる同情ではなく、喜ぶ者と共に喜べる心です。心と心を通わせ合う能力、必要ならば互いの重荷を負い合う能力です(ガラテヤ六・二)。第3に、神との繋がりと、互いの交わりを通して養われていく事です。このキリスト教信仰の3つの要素のどれかが欠けていれば、霊が眠っているしるしです。
 最後は夫婦間の性関係の「素晴らしさ」についてです。雅歌は夫婦を励ますために書かれたロマンチックな書ですが、多くの夫婦は「セックス」が神からの贈り物である事を知りません。特に女性にとってそれはむしろ耐え忍ぶべき「必要悪」としか受け止められていません。これには男性側の問題があり、本来男性は家庭の霊的リーダーとして、自分自身ができる限り霊的に目覚めた状態を保ち、妻が霊的に目覚めるためにも手助けする義務があります。もし夫が主との正しい関係にあり、妻とも正しい関係にあるなら、性関係の中で夫婦は霊を通わせ合い、その時に聖霊様が流れ、夫は妻に、妻は夫に対し、相手がどのような存在であるかを「歌いかける」のです。神様は私達人間を、霊的な語りかけが必要な存在として創られました。夫婦の関係を通して神は、私達が互いに「本当の自分」を発見するように創られたのです。だからこそ、結婚外の性的な関係は非常に破壊的です。そこでは聖霊様が「歌いかける」事ができず、誤った、混乱をもたらすメッセージが相手の心に流れ込む事になります(气Rリント六・一五〜一八)。
あなたがさらに目覚めて歩まれますように!


キングダム2005年11月号より