第44回  「地域に根ざした教会を目指して」
福島第一聖書バプテスト教会 

牧師 佐藤彰
 

  「そして毎日、心を一つにして宮に集まり、家でパンを裂き、喜びと真心をもって食事をともにし、神を賛美し、すべての民に好意を持たれた」
(使徒二:四六〜四七)
産声を上げた初代エルサレム教会は、その地域に立てられた教会として、しっかりと根を下ろしていました。その証拠にさきの聖書の記録を見ると、「すべての民に好意を持たれた」と記してあるからです。
 礼拝をささげ、聖餐式を行い、みことばが読まれ、クリスチャンが喜んで集まることは大切です。けれども、その集団が地域の中で浮き上がって存在していない。その地域の人々の中で非常に好感を持たれていたということは、今後の爆発的宣教の前進を考えるとき、殊さら重要と思われます。
 先日、私たちの教会でクリスマスゴスペルコンサートが開かれました。毎年十二月第一週の土日にかけて開催され続けて約二十年。今年は特に教会員のご主人が数多く来会され、温かいぬくもりをチャペルで感じられたようです。 
例年、教会の隣組の方々へはプレゼントしていますが、通常はチケット大人千円です。ところが、ある男性は毎年千円を払い、教会の門をくぐっているので、どちらかと問われれば、年に一度も行くことのないお寺よりもキリストの教会に属すると考え、自分はキリスト教であると思い始め、事業が行き詰った出来事をきっかけに、ふだんにも教会に通われるようになり、最後は洗礼へと導かれました。
 就園前のクリスチャンではない母と子の集いも開催しています。
これまで随分多くの方々が教会の門をくぐられました。例年、そこから洗礼を受ける方が起こされますが、洗礼には至らなくても、教会にお世話になった地域の方々は、少なくとも教会に良い印象を持たれます。
 折々に話題になる過激なカルト宗教は、決まって地域の中で浮いた存在です。もしも近所の人にインタビューするなら、次のような答えが返ってくるでしょう。「できたら他の場所に移転をしてほしい。うるさくてしようがない」等々。しかし、もし教会も似たような声が地域から聞こえてくるなら、寂しい話です。「どこからか日曜日になると人々が集まってきて、自分たちは満足しているかもしれないけれど、地域からは浮き上がった存在」と言われたら悲しいです。逆に「あの教会はいい教会だ。うちの甥っ子やおじさんも通っている。隣の家の人も世話になっているようだ」等々の声が地域から聞こえてくるなら幸いです。
 幾つかのアドバイスをしたいと思います。

 1、一般常識を大切に。
 日本人は、まず相手が信頼に値するかどうかを判断してから、その後で初めてその語られる内容に耳を傾けます。地域の中で一般常識をわきまえた、信頼に値する集まりと教会が見られることは大切です。カルト宗教は、一般に地域の中で「非常識」と映っているのではないでしょうか。

 2、地域でも存在感のある人も集う教会を目指す。
 教会の内では生き生きしていても、地域や家庭に帰るとシュンとしているとすれば、地域への影響力は望めません。各々が教会内でも、地域の中でも、キリストの香りを放つ信仰者を目指しましょう。

 3、地域の人々も集いやすい集会を企画する。
 若いお母さん方は、子育てなどで悩みを共有する若いお母さんたちとの集いになら出席しやすいはずです。逆にサラリーマンは、そのような集いでは居心地悪く感じるものです。地域の人々のニーズに合わせた、居心地のよい場の設定を、柔軟な発想を持って企画しましょう。

 4、教会の中によい雰囲気をつくる。
 うわさ話や分派を感じさせる雰囲気が教会にあるなら、街角の井戸端会議と何ら変わらない集まりだと来会者は感じるでしょう。逆に心温まる、世と違う何かを教会がかもし出すなら、きっと来会された地域の人々にも心に何かが残るはずです。
 地域とのつながりを大切にし、信頼を築き、地域の中で評判のよい教会を目指し、地道な取り組みを続けたいものです。


キングダム2006年1月号より