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使徒パウロは、生涯キリストのために燃え尽くした聖徒でした。その秘訣は「キリスト・イエスにある私の生き方…」(氈Eコリント4:17)と告白している通りである。
さて、キリスト・イエスに在る生き方を、更に具体的に言い表しているのが、コロサイ人への手紙2:6〜7であろう。
ここには、キリスト者とは誰かについて明白に記されている。
第1に、キリスト者とは、信仰によって主イエス・キリストを心の中に受け入れた者であると告白している。
この信仰体験なくしては、キリスト者とは言えないと聖書は言う(ローマ8:9)。 又、これこそ霊的西暦元年であり、霊的誕生日である。パウロは、この霊的スタートを強調し、又、主イエス・キリストも在世当時に、ニコデモに対して新しい生まれ変わりの絶対必要性を語られた。「人は、新しく生まれなければ、神の国を見ることはできません。」(ヨハネ3:3)又、「人は、水と御霊によって生まれなければ、神の国にはいることができません。」(ヨハネ3:5)と言われた。
何でもそうであるが、最初が大切である。最初の信仰体験が明白でないと、いつまでたっても成長しないし、実を結ばないものである。
第2に、キリスト者とは、キリストに在りて生くる者、つまり内住のキリストにご支配されて生活する者であると言う。
そのことが聖書に明白に記されている。
「あなたがたは、このように主キリスト・イエスを受け入れたのですから、彼にあって歩みなさい。キリストの中に根ざし、また建てられ、また、教えられたとおり信仰を堅くし、あふれるばかり感謝しなさい。」(コロサイ2:6〜7)このみことばの中に、少なくとも五つのことが記されている。即ち、「歩みなさい」、「根ざしなさい」、「建てられなさい」、「信仰を堅くしなさい」、「感謝しなさい」ということである。
1.キリストにあって歩むこと。
これは、キリストが歩まれたように歩みなさいということである。とすれば我々には不可能である。誰彼のように、先輩や指導者、尊敬する人のように歩みなさいならば、少し頑張れば出来るかなと思わないわけでもないが、キリストが歩まれたように歩むとなると、自分には出来ないとなってくる。しかし聖書には「主にあって」という慰めの言葉がある。それは私ではなく、自分の努力でもなく、内住の全能者が私に代わって歩んで下さるというのである。これなら出来るとなってくる。
かつて台湾原住民は「首狩族」とあだ名をつけられていた。他部族の男の首をとった者は、英雄と呼ばれていた。その原住民にキリストの救いが入るや、見違えるようなキリスト者村に変わってきたのである。私も10回程台湾短期宣教に行って、そのことを見て来た一人である。キリストに在りて歩むキリスト者でありたいものである。
2.キリストの中に根ざすこと。
これは、神に深く根を下ろすことで、祈りを意味している。祈り以外に、神に深く信仰の根を下ろすことは出来ないからである(イザヤ37:31、エレミヤ12:2)。
霊的に深く根を下ろすことは、祈り以外にない。以前は、ハウンズ、アンドリユー・マーレー、ジョージ・ミユラー、ジョンRライスなどの祈りに関する本をむさぼるように読んで、祈りに力を入れたことが今は懐かしい。個人としても、教会としても、もう一度祈りの霊に満たされたいものである。
3.キリストの上に建てられること。
これは、キリストを信仰の土台として、「愛の建築をすること」ではないだろうか。
何があっても愛(アガペー)がなければ、全ては無に等しい。愛こそ私たちが最高の目標として追い求めるべきものである(氈Eコリント14:1リビングバイブル)。
祈りと愛は2本レールのようなもので、どちらを欠いても祝福は乏しい。この最後の時代に私たちが最も必要としているものは「キリストの愛」に満たされることではなかろうか。愛のリバイバルを求めるや切なり(エペソ3:17〜19)。
4.キリストに在る信仰に堅く立つこと。
信仰を堅くするのは、みことばによってである(ローマ10:17)。みことばに堅く立つ時に「生かされる」と、詩篇百19篇には20回も記されている。みことばは人の霊を生かし、強くし、賢くし、喜びに満たし、力に満たすと約束されている。この異端や偽キリストの働きの多い時代、私たちはみことばに堅く立って、敵サタンと戦わねばならない。私たちは、内住のキリストの信仰(ガラテヤ2:20永井訳)が必要ではなかろうか。自分の信仰ではなく、キリストの信仰こそ必要である。
5.キリストに在る、溢れる感謝をすること。
聖書には、神を愛する者、即ち神を信じる者にとっては、全てのこと(良いことも悪いと思われることも)が相働いて益と変わってくるという素晴らしいみことばがある。故に、全てのことが感謝出来るわけである。その時は納得出来ないような悩み、悲しみ、試練、困難の中をも、祈っていく人にとっては全てが有益となる。これが天国の法則である。故に感謝しよう。ハレルヤ!
神はキリスト者に対して、最善以下のことはなさらないお方である。信じていこう。
このように聖書は私たちに、「キリストに在る生き方」を教えてくれた。この年もキリストに在って雄々しく前進しようではないか。
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