メッセージ


聖書箇所 それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。マタイ28:19a
ルカ9章1〜6節  マタイ28章19、20節
11月10日(日)
メッセージ

大久保旨子
説教題:「宣教の使命に生きる」
イエス様は30歳になった時に公の伝道活動を始められました。そして色々な村や町で福音を語り、病を癒し、悪霊を追い出していました。イエス様はそのような権威を持っている方である事を示されたのです。ルカの9章では、イエス様が今度は12弟子達にも同じ権威を与えて伝道に遣わされました。3〜5節では具体的に宣教に行くときの備えについてや、するべきこと、否定的な態度を取られたときの対処などが細かに語られています。弟子たちはこうしてイエス様によって町々や村々へ送り出されました。
 まず大切なことは、伝道というのは牧師がすることだ、牧師にしかできないことだとは考えないということです。マタイの28:18、19では復活したイエス様は弟子たちを集めて「わたしは天においても地においても、いっさいの権威を与えられている。それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい」(18〜19節)とお命じになりました。この伝道の使命を託された「弟子たち」とはイエス様の福音を信じるすべての聖徒達です。
 では、伝道するという事はどうすることでしょう。他人に伝道して弟子とするということより、まず初めに私たちは“自分自身”に焦点を当てる必要があります。あらゆる人々を弟子にするとは、まず自分が弟子になることが第一歩です。それはイエス様の弟子として生きる。キリストに従って生きることです。伝道というのは、道を伝えて信仰に導くことではありません。道は、伝えるものではなくて生きるものだからです。まず私たち自身が信仰の道を歩む。弟子の道を歩む。そこにある恵みと祝福を体験する。そうしてから初めて、私たちが他の人に救いの恵みを信仰の良さを伝えられるからです。そして、その良さ、恵みと喜びをつかんでいれば、私たちはおのずと他の人に伝道することができるのです。
 そして大切なことは、私たち一人一人が宣教というものが神様からの命令であることを深く理解して受け止めることです。
「それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。」マタイ 28:19aイエス様を信じて救われ信仰生活を送ってきたなら、私たちは今を、そしてこれから先の残されている人生をいかに生きるべきでしょうか。限りある人生を霊的な視点で見た時、どのように生きるべきでしょうか。何よりも神さまが求めておられることは、一人でも滅びる事のないように…という人々の救いです。そして、全世界に福音が広められなければ結果的にイエス様のご再臨もありません。ですから宣教は単なる教えではなく、イエスさまから直接語られた命令なのです。だれかを「弟子」にするのは自分一人ですることではありません。教会全体で協力して行うことです。もっと言えば、18節の「天と地の一切の支配権」を持って「世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」(20節)と約束してくださっているイエス様に、お任せしながら委ねて行うことです。
 そして、伝道の為に小さな一歩を踏み出すのです。教会案内を配ることだっていい、クリスマスの行事に誘うのだっていい、聖書を手渡すことだっていいのです。そういうことが、「あらゆる国の人々を弟子に」することの、小さな第一歩だと思います。伝道した相手が何を思い、どう動くか。そこは神さまに、祈ってお任せしましょう。私たちが一心になって神様に従うつもりでそれを行うなら神様が責任をとってくださるからです。私たちは伝道の小さな一歩を、心を込めて、着実に踏み出していきましょう。
祝福をお祈りいたします。

それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。マタイ28:19a