メッセージ


聖書箇所
ルカ1章38〜56節 黙示録22章17節
12月15日(日)
メッセージ

大久保旨子
説教題:「主を待ち望む」
ポイント*マリヤの素直な信仰を通して、長い間待ち望まれた救い主イエス様は誕生されました。私たちも素直な信仰をもってイエス様を待ち望む者となろう。

御使いガブリエルがマリヤの元にやってきて、これからマリヤ自身に起こる祝福の計画について語りかけます。それは、まだ結婚もしていないマリヤが聖霊の力によって子どもを身ごもる事、そしてその生まれてくる子どもは今まで誰もが待ち望んでいた神の子である。ということでした。突然御使いが目の前に現れただけでマリヤは驚いたでしょう。それだけではなくまだ若く結婚もしていない自分は身ごもり、しかもその子供は聖霊によって宿されて神の子と呼ばれるというのですからひどく戸惑いました。でもマリヤの信仰には、神様への大きな信頼と素直な心がありました。(38節) この素直な信仰のマリヤの存在によって、旧約時代からずっと待ち望まれてきた救い主がお生まれになるのです。完全な子羊の生贄として、私たちの罪の為に身代わりに十字架にかかって罪の罰を受け、そして三日目によみがえられる方。その救い主イエスキリストが人となってこの世界に生まれてくださったのです。
 マリヤは御使いの預言を受けた後エリサベツのところに向かいます。エリサベツが身ごもっていてもう6ヶ月だというのですから、それを聞いたマリヤはどんなに心強かったでしょうか。(39.40節)
 マリヤがエリサベツのところにいって彼女にあいさつしただけで、お腹の中にいるヨハネは喜んで踊ったとあります。そしてエリサベツも聖霊の臨在に満たされました。(42~45節) そして46節から55節まで続くマリヤの言葉は、それがマリヤの歌とも祈りとも感じられます。マリヤは喜びに満たされて神様を心から賛美し、自分のようなちっぽけな者に神様が目をとめてくださったことを謙遜な心を持ちつつも感謝しています。そしてこの素晴らしい出来事が単なるこの時だけの奇跡で終わるのではなくて、これから先、時代を超えて人々に喜ばれる神の救いの御業であることを賛美しているのです。 49~55節では神様のご計画の偉大さと神様がアブラハムの時代から約束されていた、祝福の契約のことを言っています。つまり、マリヤはただ自分に起こった神様の計画だけに感激して喜んでいるのではなくて創世記の時代から歴史の中で繰り返し何度も約束されてきた救い主が今この自分を通して現れるんだという喜びと、自分のような者が神様の大きな御業の為に用いられているという感動があふれてきていた場面なのです。その為、神様を崇めずにはいられなくなったのです。
私たちは今日の箇所からマリヤの素直さと神様に対する深い信頼の信仰の姿勢を学ぶことが出来ます。またそれだけではなくて、ここに長い歴史の中で何度も約束された約束の成就をみることが出来ます。 新聖歌68番の「ひさしく待ちにし」は、救い主であるイエス様を待ち望む賛美の歌詞です。救い主よ 来てください。という人々の希望と切なる願い、イエス様のお誕生はその希望の預言の成就なのです。 では、それが成就された後の今の時代を生きる私たちに与えられている約束はなんでしょうか。 それはアブラハムの時代から続く祝福の契約はもちろんのこと、イエス様が花婿として再びこの地上に私たちを迎えに来てくださるという再臨の約束です。神様は聖書を通して再び来られるとはっきり約束してくださっているのです。
今を生きる私たちはこのクリスマスの時期、イエス様が預言の成就としてお生まれになったことを記念して喜び祝うと同時に、再び天から来られて実際に顔と顔を合わせる事のできる、花婿なるイエス様のおいでを待ち望む者でありたいと思います。
祝福をお祈り致します。