メッセージ


聖書箇所 Tテサロニケ5章16〜18節 Tテモテ6章6節
しかし、満ち足りる心を伴う敬虔こそ、大きな利益を受ける道です。
01月12日(日)
メッセージ

大久保旨子
説教題:「溢れる感謝」
*感謝できないことに感謝する*
 感謝することは私たち人間の感情表現のひとつです。何かプレゼントを贈られたり、誰かに助けられたり、お世話になったり、励ましの言葉をかけてもらったり…そんな時、私たちの心には相手に対する感謝の気持ちが湧いてきます。しかし、この聖書の箇所で言っている事は「すべてのことについて感謝しなさい。」という言葉です。良い事があると容易に感謝出来る私たちですが「すべてのこと」となると自然な感情表現ではとてもできません。悪いことが起こった時に感謝するという感情は私たち人間のうちには湧いてきません。感謝の気持ちが湧いてこないどころか、落ち込み、失望、悲しみ、悩みが心を支配することもあります。
 しかし、神様の御言葉はすべての事に感謝しなさいと語っています。これはどういうことでしょうか。神様を信じていても信じていなくても、それに関係なく私たちの人生において悪いと思われる出来事があります。それは場合によっては悪魔の働きであったり、私たちの失敗であったり様々ですが神様がそれをなされるのではありません。しかし、神様は時に私たちに悪い事が起こる事をお許しになります。それは神様が私たちを愛してないからではなく、愛していて大切に思っているからこそ、その問題を通して私たちの心が神様に向くように導いておられるのです。
 信仰による決断は感情とは別問題です。神様の言葉に立つとは 感情を中心に生きるのではなく、信仰、つまり神様に言われたことに従う。ということを中心に生きるのです。ですから感情では感謝出来ないと思っていたとしても、その思いではなく「感謝しなさい。」という御言葉に立ち、それに従って信仰によって感謝を選ぶのです。 私たちは悪い状況の中にあったとしても、そこに隠されている神様の計画と意味を信じ、またその意味が今の状況の中で見えなかったとしても、それでも神様が私たちを愛しておられるということに信頼して「感謝する」ことを選びとりましょう。

*与えられている感謝なことに目を向ける*
 私の友人に埼玉で教会を牧会している夫婦がいます。昨年の年末最後の礼拝の時、一年を振り返って感謝する時を持ったそうです。一人一人と感謝の祈りを捧げているうちに心に深い感動が湧き上がり、それと同時に、神様に対するへりくだりの思いが心を支配して自然に涙が溢れてきたそうです。もう何時間でも祈っていたい、そんな気持ちがしました。と、お証してくださいました。それを聞き、感謝の祈りには力があると感じました。主の良くしてくださった一つ一つを感謝している時に神様の素晴らしさへの感動があふれてきました。また、神様が私たちの人生を支配してくださっているというへりくだった思いが心を満たして、神様への感謝と愛が溢れたというのです。
 私たちはいかがでしょうか。満たされない、足りない。という思いから他者や周りの状況に対して減点方式で見てはいないでしょうか。一度それに陥ってしまうと、その心は満足することを知らず、周囲を厳しく評価してしまいます。しかし、神様が私に良くしてくださったことを事あるごとに思い出していく時、減点方式から加点方式へと発想を転換させられます。加点方式は自然に感謝の心を生み出し、次第に周りの人々への態度にも表れてきます。何より、不平不満でいっぱいだった自分の心が「なんてありがたいのだろう。」と満足していくのを実感するようになってゆくのです。
 足りないところ、不満なところ感謝できない事に心を支配されるのではなく、主が良くしてくださったひとつひとつの事への感謝が私たちの心を満たしますように。そして、私たちの生き方が神様への感謝で溢れる歩みとなりますように。
祝福をお祈りいたします。