メッセージ


聖書箇所 エペソ4章20節〜5章1節*ヨハネ13章15節
03月02日(日)
メッセージ

大久保旨子
説教題:「人生の目的〜キリストの似姿に〜」

 今日は「私たちはイエス様のようになる為に召されている」ということを見ていきたいと思います。イエス様にならうように生きていく、これは私たちの人生において重要な目的のひとつです。

 エペソ書の4章後半から5章の1節を見ていただきました。ここには私達がクリスチャンとしてどのように歩むべきかが、具体的に書かれています。5章1節に「ですから、愛されている子どもらしく、神にならう者となりなさい。」とあります。

 パウロは幾つかの手紙の中において、「自分にならいなさい」という言い方で、クリスチャンとしての歩みをさとしている箇所があります。ピリピ3章17節。また、Tテサロニケ書1章6節7節。そして、Tコリント11章1節「私がキリストを見ならっているように、あなたがたも私を見ならってください。」これらを見るとパウロは自らに倣いなさいといいながらも、根本的には私たちが見ならうべき存在はイエス・キリストであるのだ、と語っています。

 私たちの人生の最終目的は、救いではありません。イエス様を信じたてそれで終わりではなく、これからはイエス様を模範としてイエス様の似姿に変えられていくことを求める、大きな目標があるのです。

 20節〜24節を見ると私達は皆古い罪の性質をもった弱い存在であることがわかります。イエス様を救い主として信じていても、私達にはそれまでの永い間つちかってきた古い性質があります。それは、自己中心的な生き方であるかもしれませんし、赦せない思い。または、お金・情欲・権力…などの肉の欲、中々やめることの出来ない悪い生活習慣や癖。相手の欠点を裁くこころであったり、また自己卑下などです。そういった古い性質が私達には誰でも多かれ少なかれあるものです。しかしイエス様を救い主と信じて歩み出した私達は、イエス様を見上げ、より良い方向へと転換していかなければなりません。私達は古い性質を捨てて、神様にある新しい性質、イエス様にならう生き方を目指していきたいものです。

 続いて25節〜27節では、お互いに真実を語り合う事、そしてもし腹を立てるような事があってもその日のうちに解決することの大切さが語られています。私たちが人間関係において真実を持って接することを辞めてしまうなら、やがてお互いの間の信頼は完全に壊れてしまいます。また、私達は人に腹を立てる事があったり、怒ることがあったのなら、日が暮れるまで怒ったままでいてはいけないとあります。怒りをそのままにしておくことは、悪魔に漬け込む隙を与えてしまうことになるのです。「怒り」自体は単なる感情ですがやがてそれが憎しみになり、赦せない思いや裁きになって罪へと発展してしまうからです。怒りを早く処理できる者となりたいと思います。

 続いて28〜30節では具体的な行動についてです。盗みをしてはならないこと、そしてしっかりと働き、奪う者から与える者へ変わる事を勧めています。また、私たちの口から出る言葉についても、語られています。私たちの口がきよめられて、出る言葉が相手を励ます言葉、感謝を表す言葉、褒め言葉、慰めの言葉、人の徳を高めて、相手の益となる言葉。助けとなる言葉が溢れる者になりたいと思います。

 最後に31,32節。わたしたちの心には時に汚い感情やイエス様のご性質とは全く正反対の感情が渦巻く者です。しかし罪の性質に悩みつつもそれらを信仰によって捨て去る決心をしていき、日々変えられていく者でありたいと思います。そして柔和な心、穏やかな優しさを神様からいただいてイエス様が赦してくださったのだから、私達もそれにならって赦そう。というような常にイエス様の姿にならって今を生きる者となりましょう。花婿なるイエス様が来られるその時まで、変えられ続ける者でありたいと思います。

祝福をお祈りいたします。