メッセージ


聖書箇所

1コリント15:3-6

04月20日(日)
メッセージ

濱野好邦
説教題:「キリストの十字架と復活」

イースターおめでとうございます。  私があなたがたに最もたいせつなこととして伝えたのは、私も受けたことであって、次のことです。キリストは、聖書の示すとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、また、葬られたこと、また、聖書の示すとおりに、三日目によみがえられたこと、また、ケパに現れ、それから十二弟子に現れたことです。その後、キリストは五百人以上の兄弟たちに同時に現れました。その中の大多数の者は今なお生き残っていますが、すでに眠った者もいくらかいます。

コロサイ人への手紙2章12節
 あなたがたは、バプテスマによってキリストとともに葬られ、また、キリストを死者の中からよみがえらせた神の力を信じる信仰によって、キリストとともによみがえらされたのです。

「洗礼と復活」
 バプテスマ=洗礼は、キリストを信じた人が、イエス・キリストが墓に埋葬されたように、水の中に身を沈めることによって、古い自分が葬られ、水から上がるときに、キリストが復活したように、新しくクリスチャンとして立ち上がることを表す儀式です。
 事実、私たちは復活したキリストの力によって新しい人に造りかえられているのであり、キリストを信じて新生したことの証しとして洗礼を受けるのです。自分のしたいと思う善を行えず、自分のしたくないと思う悪を止められないという問題を抱えて、罪責感に押しつぶされそうになる私たちですが、神様はイエス・キリストに罪の責任を果たさせたのです。それが十字架の死です。
 神様は、現実に天と地を創造し、今現在も活発に活動している御方です。神様はキリストを地獄に放置することなく、死の三日目には復活させました。この復活の記念日がイースターです。復活した御子キリストは御父と同じに、私たち信じる者を新しい人に造りかえる働きを展開しています。
 私たちがキリストが復活したことを信じ、キリストが聖霊となって私たちの心に住むことを受け入れているならば、私たちは既に新しい人であり、神の子とされているのです。私たちの心の中に住むキリストが私たちをそのような人に変えたのです。イースターおめでとうございます。

ヨハネの福音書17章2節3節
 それは子が、あなたからいただいたすべての者に、永遠のいのちを与えるため、あなたは、すべての人を支配する権威を子にお与えになったからです。その永遠のいのちとは、彼らが唯一のまことの神であるあなたと、あなたの遣わされたイエス・キリストとを知ることです。

「キリストの十字架と永遠のいのち」
 この聖句は「父よ。時が来ました。あなたの子があなたの栄光を現わすために、子の栄光を現わしてください。」(1節)という言葉で切り出されたイエス様の祈りの言葉です。イエス様はすべての人を支配する権威とすべての人に永遠いのちを与える権威を御父から与えられました。永遠のいのちはキリストの十字架の死と復活によって私たちにもたらされました。
 「永遠」という言葉は「神」と置き換えられる言葉で「永遠のいのち」は「神のいのち」と言えるものです。その実体は「イエス・キリストとを知ること」と明言されています。永遠のいのちは時間的に何百年も何千年も生き続けるというものではありません。
 永遠のいのちは、いつでも何処でもイエス・キリストと限りない愛の関係を維持し続けることです。キリストから愛され、キリストを愛し、キリストと一体となって生きていくこと、それが永遠のいのちです。私たち人間の幸せは良好な人間関係の中にあります。キリストとの良好な関係は家族や友人知人の間に拡大されていきます。

 「イエス・キリストを知ること」
 それは私たちがキリストの花嫁とされて、花婿であるキリストの愛に包まれて生きることです。私たちのキリストへの愛は、私たちがキリストから愛されたように互いに愛し合うことによって実を結んでいきます。キリストは私たちに永遠のいのちを与えるために十字架で死んだのです。最も大いなるものは愛です。そして一番すぐれているのは愛です。
 キリストの復活を喜び祝い、キリストの復活の力に覆われて生きていきましょう。キリストを復活させた神様の大能が私たちの前途を大きく開き、私たちを神の御国へと導き入れるのです。

祝福を祈ります。