メッセージ


聖書箇所

1コリント15章51節-52節
ここで、あなたがたに奥義を告げよう。わたしたちすべては、眠り続けるのではない。終りのラッパの響きと共に、またたく間に、一瞬にして変えられる。聞きなさい。私はあなたがたに奥義を告げましょう。私たちはみなが眠ってしまうのではなく、みな変えられるのです。

04月27日(日)
メッセージ

濱野好邦
説教題:「みな変えられる」

マルコの福音書16章11節12節13節
 彼らは、イエスが生きておられ、お姿をよく見た、と聞いても、それを信じようとはしなかった。その後、彼らのうちのふたりがいなかのほうへ歩いていたおりに、イエスは別の姿でご自分を現された。そこでこのふたりも、残りの人たちのところへ行ってこれを知らせたが、彼らはふたりの話も信じなかった。
「信じがたい復活」
 キリストが復活したという記事は、聖書のすべての記事の中で最も重要な事柄です。キリストの復活は、福音の中心であり、福音そのものです。ところが、キリストが復活した直後は、キリストが復活したと聞いても弟子たちは信じることができませんでした。復活したキリストに面会した人だけが信じることができたのです。
 そのためにキリストは、40日間にわたって500人以上の弟子たちに直接、復活した姿を現して、復活が事実であることを証明したのです。500人以上の弟子たちが口を揃えて、復活したキリストに会ったと証言したので、弟子団の中には疑うものは無くなりました。それで、今の時代の私たちもその証言を信用することができるのです。
 聖書の中に普通の常識では全く信じられないことが三つあります。一つは神が実在するということ。もう一つは夫婦生活をしたことのない女性が出産したということ。三つ目は、十字架で死んだキリストが復活したということです。キリストと寝食を共にしていた弟子たちが信じられなかったということは無理もないことです。
 弟子たちにお姿を現したキリストは、その後、天に昇りました。その10日後、今度は聖霊となって天から弟子たちのところに戻ってきました。この聖霊が弟子たちを新しく造りかえ、弟子たちに外国語を話させるなどの圧倒的な力をあたえたのです。これによって復活は確固なこととして弟子と信者の間に定着し、キリスト教会の誕生へとつながっていきます。

ルカの福音書24章30節31節32節
 彼らとともに食卓に着かれると、イエスはパンを取って祝福し、裂いて彼らに渡された。それで、彼らの目が開かれ、イエスだとわかった。するとイエスは、彼らには見えなくなった。 そこでふたりは話し合った。「道々お話しになっている間も、聖書を説明してくださった間も、私たちの心はうちに燃えていたではないか。」
「心は燃えた」
 二人の弟子がエルサレムから西方へ11qほどの所にあるエマオ村に向かって移動していたとき、よみがえったイエス様が二人に平行して歩き始めました。この二人はマルコ16章に出てきた二人です。二人ともイエス様だとは気づきませんでした。以前のイエス様とは姿が変わっていたからです。二人の内の一人はクレオパという名前です。
 イエス様は道々、聖書の中のご自分に関することについて書かれている事柄を彼らに説明しました。そして、夕暮れになり、イエス様は二人に求められて一緒に食卓に着きました。イエス様がパンを裂いて二人に渡したとき、二人の目が開かれて、目の前の人物がよみがえったイエス様だと気づいたのです。その時イエス様の姿は見えなくなりました。
 そして、ふたりは「道々お話しになっている間も、聖書を説明してくださった間も、私たちの心はうちに燃えていたではないか」と話し合ったのです。私たちの場合も同じです。私たちも、よみがえったイエス様に出会うとき、心は大きく燃えるのです。よみがえったイエス様が私たちの心に触れてくださるとき、私たちの心が変えられるのです。これが私たち救われた者の経験です。
 聖書の中のイエス・キリストに関する記事は私たちに感動を与え、喜びと希望を与えます。それは、イエス・キリストがどのような御方であり、私たちに何をしてくださる御方であるかがよく解るからです。私たちは聖書を通して復活したイエス様のお姿をクッキリと見ているのです。これからもしっかり聖書を読んでイエス様への理解を深めていきたいと思います。

ヨハネの福音書20章27節28節
 それからトマスに言われた。「あなたの指をここにつけて、わたしの手を見なさい。手を伸ばして、わたしのわきに差し入れなさい。信じない者にならないで、信じる者になりなさい。」トマスは答えてイエスに言った。「私の主。私の神。」
「復活の証人」
 イエス様が復活した日に復活したイエス様に面会できた弟子たちが大勢いましたが、そういう弟子たちの中でトマスはイエス様に会えていませんでした。それでトマスは他の弟子たちに「私は、その手に釘の跡を見、私の指を釘のところに差し入れ、また私の手をそのわきに差し入れてみなければ、決して信じません」と言いました。
 八日後、弟子たちが集まっているところへイエス様が現われてトマスに語った言葉がきょうの聖書です。トマスが他の弟子たちに言った「決して信じません」という言葉はイエス様に聞かれていたのです。イエス様は優しく「信じない者にならないで、信じる者になりなさい」と語り、私たちにも「見ずに信じる者は幸いです」(29節)と語りかけていてくださいます。
 聖書には「信じる者」という言葉がしばしば出てきます。御父を信じる、御子を信じる、或いはみことばを信じることを指していますが、特に、信じるポイントはイエス・キリストの復活です。キリストの復活を信じた人はすべて救われているので、救われたクリスチャンが存在することが、未だ信じていない人にとってはキリストの復活の証拠になるのです。
 「私たちはキリストの復活によって救われた」という事実を持って、未だ信じていない人々にキリストの復活を証言できるのです。キリストは私たちを復活の証人として用いてくださるのです。私たちが様々な場面で証しする「証し」は実はキリストの復活を証言する証しなのです。キリストの復活を証言する証人として生きていきましょう。