メッセージ


聖書箇所

創世記39章2,3節 20〜23節

05月04日(日)
メッセージ

大久保旨子
説教題:「神と共に」

 37章からヨセフの生涯についてみてゆきましょう。ヨセフはヤコブが年を取ってから与えられた子供であったので、他の兄たちに比べてとりわけ愛されていました。37章3節にはヤコブがヨセフを「彼の息子の誰よりも愛した。」と書いてあります。これに対して彼の兄たちは、ヨセフを妬み憎むようになりました。

 またヨセフは「夢を見る」人でした。ヨセフは不思議な夢を見るたびにそれを家族に話しました。しかし、彼の話す夢はどれも周りの人が自分を拝むという内容だった為に、それを聞いた兄さんたちの怒りと憎しみは頂点にたちました。ヨセフはその後、兄さんたちの企みによって奴隷としてエジプトに売られてしまうのです。

 しかし、2,3節にあるように買い取られた先でも主がヨセフと共におられたので彼がするすべての事は成功しました。そして主人の全財産をゆだねられるまでになります。ところがまたもやヨセフははめられて、今度は王の囚人の入る監獄に入れられてしまいます。忠実に働いていたのに、なぜこのようなひどい目に合うのか・・・ヨセフは嘆いていたかもしれません。しかしここでも神様はヨセフと共にいて下さり、彼の働きを祝福されました。今度はその監獄の長に気に入らえてこの監獄にいるすべての囚人をゆだねられ、自分も囚人でありながらその監獄のすべてを管理するようになったのです。

私達が、このヨセフの歩みから学ぶことができるのはどのようなことでしょうか。

@神様と共に働くとき、私達は祝福の基となる。
ヨセフは、父親にとりわけ愛されて育ちましたが兄に恨まれ、いのちは助かったものの奴隷として売られるというとても喜ぶことができない状況に置かれました。しかし、そのような中にあっても神様がヨセフと共におられるということは変わりませんでした。 自分の状況を嘆きたくなったでしょう。お兄さんたちを恨む気持ちや、復讐しようと思ってもおかしくない状況です。しかし、ヨセフはその場所で与えられている事に忠実に誠実に仕えることをやめませんでした。自分の感情によって仕えていたのなら、憤りや恨み、憎しみや嘆きが心を満たして、とても忠実に仕える事ができなかったはずです。ヨセフは自分の感情に死に、神様と共にその場所で仕えました。
 その結果、ヨセフのすること成すことは何もかも成功し、ポティファルの家においても、監獄においてもそこに祝福が流れ祝福の基として用いられたのです。

A御心がわからなくても忍耐を学ぶ。神様の時を待ち望む。
ヨセフははめられて監獄に入れられましたが、そこから出られるようになるまでもかなりの時間がかかりました。祝福の基ではあっても、決して順調な歩みではなかったのです。しかし、ヨセフは目の前にあることを投げ出さず、すべき小さなことに常に忠実でした。神様がそのことを通してヨセフの忍耐をやしなってくださったのです。そして自分の時、自分の必要に、神様を合わせようとするのではなくて神様の時、神様のタイミングを待ち望む者へと練られました。
私達は忍耐することを出来れば避けたいと思います。またそれが長いほど先が見えなければ見えないほど、苦しいものです。しかし、ヨセフがまず目の前に与えられていることに忠実に仕え続けたことによって、その小さな積み重ねが、やがてヨセフに用意されている神様の大きなご計画を推し進める事となったのです。

 どのような場所でもどのような瞬間も神と共に歩むとき、その置かれている場所が私たちの献身の場所となるのです。ヨセフがどのような状況のなかでも神と共に歩んだことによって誠実と忠実の実を結び、祝福の基となったように、私たちも職場・家庭・一人でいる時でさえ、日々の一瞬一瞬のなかで神と共に生き、神様の栄光を現わす者でありたいと思います。
祝福をお祈り致します。