メッセージ


聖書箇所

創世記6章14、22節 8章11〜16節

07月20日(日)
メッセージ

大久保旨子
説教題:「ノアの箱船」

おはようございます! 先週一週間は暑い日もありましたが、気温が穏やかになり、涼しさを感じる事もありました。でもまた今週は30度以上の日が続くようで熱中症から守られるようにお祈りします。
 前回はノアの箱船についてみてゆきました。ダビデとゴリアテの情報が入ってきていました。今度こそ聖書に忠実? ノアの箱船、今回はその続きです。同じく創世記からみてゆきたいと思います。

お祈り、 ウクライナ東部のマレーシア航空機が撃墜されたという事件で、乗客295人全員が亡くなったということ。また3月には北京(ぺきん)マレーシア航空が行方不明になったまま。
 テロや戦争・・・のニュースを見ない日はない。世の終わり

 前回は、ノアが「正しく全き人」であった。ということと、ノアは「神と共に歩んだ。」ということに注目しました。少し振り返ってみたいと思います。
 ノアはどのような意味で「正しく、全き人」だったのでしょうか。それは「その時代にあっても正しく全き人であった」、と書かれています。すなわち周囲がどれほど罪に満ちた世界であっても、なお正しく生きる、ということです。神様の目の前に生きる姿勢を忘れない、それがノアの生き方でした。
 ノアは失敗もおかした人であり、完全無欠な人ではありませんでした。しかし、ノアはそのような暴虐と罪に満ちた時代にいながらも流されることなく、滅びに向かう生き方を選ばず、神様に向かう生き方を選び取って生きていたのです。私たちはイエス様によって救っていただいた、だからイエス様を中心として生きる、イエス様を心の主として生き続ける事です。
それはキリストに従うということであり、神様の嫌われる罪から離れる、きよさを求め続けるということです。

 そして二つ目、ノアは神と共に歩んだ人であった。ということもみました。
神と共に歩むとは、どこに行くにも、いつも神様と共に生きる生き方です。神様よりも前に進み出て、自分の生きたいように生きる自己中心的な生き方ではありません。また、ただ神様の後についていくだけの、何も考えないロボットのような姿でもありません。 また、神様から離れてしまうのでもありません。どこにいても、何をしていても神様と共にいる、それがノアの生きる姿勢であり生き方そのものだったのです。

 今日は、B神様に従う人であったノアの姿 そしてC神様に任せる人 であったノアこの二つをみてゆきたいと思います。
B従う人ノア
3つ目に注目したいのは、ノアは全き人であるだけでなく、神に従う人だったということです。 たとえ完全無欠な人間であったとしても、神様に従わないのなら、その信仰も意味の無いものとなってしまいます。 神様に従う姿勢のない人は、自分中心な存在となり、神に逆らう存在となってしまいます。
 サタンというのは、以前は天使長であったといわれています、その天使は神様に従うのではなく、自分も神と同等になろうとして天使の座から落とされました。
 たとえ天使のような完全さがあっても、神に従うことを忘れたら神に逆らう存在、神様の思いとは遠く離れた者となってしまうのです。

 14節を読んでいただきました。15節からは箱船の詳しい説明ですので、ここはお帰りになってからお読みいただいてもいいかなと思います。ここに長さの単位として、キュビトという言葉が使われています。キュビトというのは長さの単位で、だいたい指の先から肘まで、人によって長さが違いますが、およそ44センチくらいと言われています。
 箱船の長さは300キュビトとありますから、44センチ×300となります。計算がお好きな方は後で計算してみてください。そのようにして箱船の設計において神様から事細かな指示が与えられている事が分かります。
 そして6章最後の22節。「ノアは、すべて神が命じられたとおりにし、そのように行った」と書かれています。ここにノアが神様の指示に従い、すべて命じられた通りそのままに箱船づくりを行った事がわかります。
 そして、7章5節もごらんください。「ノアは、すべて主が命じられたとおりにした」とここには書かれています。少し言い回しが違いますが、ここでも同じことが繰り返して記録されています。
 ノアが神様の命令に徹底的に従った、神様の言葉のとおりにしたことが強調されています。

 神様の命令、それは箱船を作ることでした。そして、そこに動物を導き入れ、洪水の間、保護をすることです。どちらも大変な働きです。現代のような機械が無かった時代です。しかもノアの家族だけで巨大な船を造るのは、並大抵のことではなかったはずです。
 しかし、ノアは、神様の命令に従うことが救いの道であると知っていました。また神様が命じたことなら、かならず成し遂げることが出来ると信じていました。実際、神様の助けもあったのだと思います。動物たちが二匹ずつ、箱船に入っていったこと、その後、一年もの間、その中ですごしたこと、それは神様の力が働いていたからこそ成された神様の業です。

神様は御言葉を通して私たちにもその御心を示してくださいます。それに対して、どのように従っているでしょうか。神様の御旨は、私たちへの愛であり、よみがえりの希望であり、失われる魂への救いです。神様に従う事が、神様の愛を体験することにつながるのです。神様に従う事が、苦しみの中にあって希望を見出すことに繋がるのです。そして、神様に従う事が、宣教に繋がり、魂の救いへと繋がってゆきます。神様に従うということが私たちの幸せそのものとなってゆくのです。
 喜んで従うものとなりたいと思います。

 ノアの服従に関してもう一つ注目すべきことは、この聖書の箇所を見る限りノアは一言も発していない、ということです。よっぽど無口な人だったのでしょうか。おそらく何かは語ったでしょうが、神様の命令に従う姿勢は確かだったのです。
 子供がお母さんから買い物を頼まれたとします。「ちょっと買って来て」と言われたら、たぶん、「何を買ってくるの」と答える事があります。「ちょっと手伝ってくれる?」、「何をすればいいの」、これは命令を確認して正しく実行するための質問です。

 ところが、頼んだことに対しての返答で「なんで?」と返答する場合があります。
これは理由を聞いているのではなく、行きたくない、という心の表れです。
ノアが一言も発していないというのは、作っている最中に細かい点に関して質問をすることはあったでしょうが、従うことそのものに反論をしていないということです。

私たちも聖書に書かれているすべてに素直に従おうと思っても、そうできない事がしばしばあります。頭では分かっていても、心がついて行かないという場合もあると思います。
 なかなか従うことが出来ない頑固な自分、あるいは従う力が足らない無力な自分を発見することもあります。そのような時はそのままにしないで、従うことの出来ない弱い自分そのままの姿で神様の前にゆき、従う事ができるようにと神様に助けをもとめることが大切です。
ノアは従う人であった。と見ました。
最後にみたいのは、ノアが「任せる人」であったということです。

 さて、何日、あるいは何年かかったのか書かれていませんが、ようやく箱船が完成し、動物たちも中に入りました。映画では、何十種類もの動物たちがひしめいて、ぎゃーぎゃーわーわー、泣き叫んでいました。そこで睡眠作用のある薬草をお香のようにして火をつけて、その煙をもって動物たちを眠らせていました。
そして、最後にノアの家族が入りました。次は何をしたら良いでしょうか。雨や波が入り込まないように、入ってきた入り口を閉じることです。

7:16 入ったものは、すべての肉なるものの雄と雌であって、神がノアに命じられたとおりであった。それから、主は、彼のうしろの戸を閉ざされた。

 最後の完成、最後に扉を閉めてくださったのは神様でした。人間がどれほど素晴らしい人でも、どれほど神様に従っても、人間の力によって救われるのではなく、救ってくださるのは神様であるということです。
 では、神様は戸を閉じただけ、だったのでしょうか。7章17節で洪水が起こり、18節、「水はみなぎり、地の上に大いに増し、箱舟は水面を漂った」。ただようというのは、自分ではコントロールできない、ということです。
 どこかの岩にぶつかって船底が壊れはしないか、心配です。何か大きな漂流物にぶつかるかもしれない、私だったらそのように不安になりそうです。しかし、そのような事はありませんでした。神様が船を導いていられるのです。
 箱船に入って漂っているほか何も出来ないノアは、神様に全てをゆだねていたのです。神様がこの計画を初められた。この計画の最高責任者は神様だ。だから最悪の状況になることはない。
 神様は私たちを救い出すと約束してくださった。必ず一番良いようにしてくださる。だからノアたちの心には平安がありました。これまでも、神様の言葉に従ってこれたのは、その先の結果に関して神様を絶対的に信頼していたからです。この神様への信頼、神様への信仰が無かったなら、救いは無かったのです。

 この前八王子教会で関東教区教職者会がありました。そこに濱野先生の娘さんである直子先生が第二子出産を終えて赤ちゃんを連れて参加されていました。そこに練馬教会の横田先生の奥さまも赤ちゃんが与えられて連れてきていました。どちらも生後数か月のほやほや赤ちゃんです。
 眠っている赤ちゃんを抱っこさせてもらっていたある方が、赤ちゃんは100%信頼しているからすごい。と話していたのが印象的でした。自分ではまだ何も出来ないけれど、愛され、抱っこされ、100%自分の身をゆだねている姿から教えられる、というのです。
 ノアもそうであったのだと思います。船に乗り、後は自分ではどうすることもできない。でも私たちを愛し、救い出してくださる神様がおられるから大丈夫。何も心配することはない。とその身をゆだねる事ができたのです。

 それから暫くして、洪水が終わり、水が引き始めました。
 ノアは窓を開いて外の様子を確かめました。ノアは3回鳥を飛ばしました。初めはカラス。
 カラスは足を降ろす場所がなかったので船を行ったり来たりしながら飛びました。
それから暫くして今度は鳩を飛ばします。鳩もまた、足を降ろすことのできる地面がなかったので戻ってきました。
それからまた暫くして、もう一度鳩を飛ばしました。すると、その鳩はオリーブの若葉を加えて戻ってきたのです。待ちに待った、乾いた地が現れたのです。
 地面が乾いてきたことを知ったノアはどうしたでしょうか。読んでいただいた8章の11節、12節。よみよみ
 鳩を飛ばして地面が乾いたことを知りましたが、それでもなおノアは待ったのです。
 神様の命令を待ちました。そして13節にあるように一月一日にノアは地上が乾き始めたのを見ました。でも、14節。二月二十七日まで待っていたことがわかります。そしてやっと15,16節で神様の命令を受けて外に出たのが分かります。

 このノアの姿勢から教えられることは私達が神様に全てを委ねて、従うというとき、、「待つ」ことが大切だということです。待つ。忍耐です。
信仰には必ずといっていいほど忍耐が伴います。また、忍耐を通して神様は私たちの信仰を訓練されます。神様を信じてみよう、信じた、でも解決しない、だから信じるのはやめた。「信じてみたけど、やっぱりダメだった」、これは、残念ながら本当は信頼していなかったということです。結果がどのような形で、いつ起こるか、それは神様の計画です。
 いつ、どのように、それも神様を信頼して委ねるのです。神様が成してくださることを信じます、神様は必ず解決の道へと導いてくださると信じます。神様は必ず救ってくださると信じます。
 信じたら、後は神様にお任せするのです。そうするなら、神様が一番良いタイミングで一番良い形でそのことを完成してくださるのです。

今日はノアの生き方から、また2つの事を学びました。
 ノアは神様に従った人でした。神様が語ることに耳を傾け、実際に生活の中にそれを実行した人でした。神様に従う事によって、ノアは大洪水という滅びから救われる道が開かれたのです。
 また、神様に任せ、委ねる人でもありました。私たちは、これから自分の人生にどのような事が起こるか分かりません。また、今目の前にある問題がどのような方向に進むのかすら分かりません。しかし、神様は私たちを見捨てないお方です。神を信頼する者を失望させないお方です。全てをご支配しておられ、私達の祈りを聞き、神の御心の時に御業を成されるお方です。ノアのように、この神が、主が私たちを守ってくださる。救ってくださる、そして決して滅びにはいかせない。必ず神様は最善を成してくださるのだ、という疑う事のない信頼を神様に寄せる者となりたいと思います。

おいのり
ノアはすべて神が命じられたとおりにし、そのように行った。