メッセージ


聖書箇所

ダニエル書1章1〜8節

10月05日(日)
メッセージ

大久保旨子
説教題:「神の前に誠実を尽くす」

 バビロンの王様ネブカデネザルは、イスラエル人の王族や貴族の中かから、特別に優秀な人材を数人選んで連れてこさせました。彼らを教育して、自分の部下として従えるためでした。(5〜7節)その中にはユダ部族のダニエル、ハナヌヤ、ミシャエル、アザルヤという4人の若者がいました。選ばれた優秀なイスラエル人には、王様が食べるものと同じものが提供されていました。しかし、ダニエルはこれを食べる事を拒みました。何故でしょうか。それは、食卓に来る前に偶像に捧げられていたものだからです。それだけではなく当時豚肉などは彼らの律法で食べてはならない事になっていたからです。王から提供されるそれらの食物を食べ続ける事は、彼らの信仰に反する行為でした。しかし、ダニエルは迷うこよなく、そして真の神様への信仰をゆがませることなく、王の提供するご馳走には手をつけないことを堅く決心したのです。
 10日間、彼らは水と野菜だけで過ごしました。しかし、彼らの顔色は王様の食べるご馳走を食べていたどの少年たちよりも良く、身体も肥えていたとあります。神様が彼らの信仰に応えて守ってくださったのです。

(1)「確立した神様への信仰」
 彼は個人的に神様を信じその信仰が確立していた人でした。まわりに神様を信じる人が多く居たから、信じやすかったから、周りも信じていたからなんとなく、という流れで神様を信じたのではなく、彼は天地万物を造られた神こそ、唯一の神であると心から信じていました。それは、敵国、また偶像礼拝をしているバビロンに来て捕囚の民となってからも変わりませんでした。このような状況で、自分の信仰を守り抜くという事はある意味、死をも覚悟しなければならない状況でした。それでもダニエルの神様への信仰は変わらなかったのです。
(2)「人を恐れず神を畏れる信仰」
 私達が陥りやすい弱さの多くに、神を畏れず、人を恐れるということがあります。私たちは、絶対的な主権を持っておられ全知全能である神様を知っていながら、人から自分がどう見られるか、人から自分がどう評価されるか、どのように扱われるかに捕らわれ、自分を守ろうとしてしまう弱さがあります。しかしそれは、絶対的な神様を横に置き、神様よりも人を重要視し恐れている事になるのです。ダニエルは何よりも神を畏れていました。王様や宦官の長に何を言われるかではなく、何よりも神様を畏れ敬い、神様が嫌われる事は避け、神様の心にかなう事を求め続ける者でありたいという、神中心、神様の評価中心、神様の喜ばれることを何よりも一番の優先順位でも求める人であったのです。
(3)「神の前で誠実を尽くす」
 私たちがダニエルの立場であったならどうでしょう。自分が殺されてしまうかもしれないという状況の中で、心は神様を信じて礼拝しているならば、偶像礼拝された食事を食べるくらい神様が赦してくれるのではないか。神様を知らせる証人として、生き残るためだったら、多少神様の律法を守れなくても、神様は良しとしてくださるんじゃないか。という考えはよぎらないでしょうか。私達人間は、状況に対していくらでも自分の都合のいいように言い訳をしたり、妥協したりすることが出来てしまうのです。

 今世界は、終わりの時代に突入しています。神様が聖書で語られた通りの事が世界中で起こっているのです。そんな時代を生かされている私たちは、いつ神様の時が来ても良いように、妥協してしまう信仰ではなく、神様の前に立ってとがめられることのない誠実な信仰を持ち続け、神様の愛に応える者でありたいと思います。祝福をお祈りいたします。