メッセージ


聖書箇所

ダニエル書4章1〜8節、36〜37節

11月02日(日)
メッセージ

大久保旨子
説教題:「暗闇で神を見出す」

 4章はネブカデネザルが自ら手紙を書き出し、すべての諸民、諸国、諸国語の人々にその出来事を証しています。ネブカデネザル王様はまた夢を見ました。誰も解き明かすことの出来ない夢を王の元に来たダニエルに、最後の望みをかけるつもりで夢の内容を話すのでした。王様の見た夢の高くそびえ立つ木はネブカデネザル王のことを表し、王様がこれから益々繁栄し強くなりその主権は地の果てまでにおよぶようになる、ということを表していました。しかし、次に出てきた見張りの者はいと高き方、神様の事で、ネブカデネザル王は神様により人間の中から追い出されてしまうという意味でした。そして獣のようになり、野の草を食べ、雨に濡れるようになり、しかもそのような状態が七年間続くという内容だったのです。
 ダニエルは神様が夢を通して王様に語った恐ろしいことが、その通りになる前に、悔い改めて神様に従うように勧告しました。しかし、ダニエルの勧告もむなしく夢の解き明かし通りの事がネブカデネザル王におこってしまいます。

(1)忠告を聞く
 神様は夢を通して王に忠告なさいました。それはネブカデネザル王が自分の過ちに気が付いて方向転換をすることを願っていたからです。しかしネブカデネザルは自らの行いを悔い改める事をしませんでした。 私達は誰かに忠告をされるようなとき、いつも喜んで聞くことができるとは限りません。自分の為に言ってくれているとは分かっていても、従いたくない、という時があるかもしれません。しかし、私達が忠告される事の多くは、自分にとって大事な事である場合が多いものです。私達も、何より聖書の忠告とアドバイスにいつも心を開いて素直に聞き入れる者でありたいと思います。

(2)へりくだる心
 神様は、ダニエルによって夢の解き明かしがあってから一年もの間、ネブカデネザル王が謝る事を忍耐して待っておられたことが分かります。しかし、ネブカデネザル王は神様に謝るどころか、バビロンの国は、自分の権力によって、そしてこの私の家とするためにこの国はあると言い、また威光(人々を従わせる力)を輝かせる為に建てられたものではないか、と傲慢になっていました。
 私達が与えられたもので、神様から来ていないものは在りません。私たちが今日息を吸う事が出来ているのも、当たり前に体を動かすことが出来る事も、神様がいのちを与えて下さっているからです。私達はどのような時にも、まずいのちを与えて下さった神様に感謝し、何をするにもすべてを支配しておられる神様なしには歩めません、と頼るへりくだった者でありたいと思います。

(3)絶望の中で神を見出す
 その苦しみの七年間が終わった時、ネブカデネザル王は天を見上げました。その心にはすべては私の権力によって、という傲慢さは消え、代わりに彼の心にあったのはただただ、神様への賛美でした。彼は極限にまで追い詰められた時、神様と出会ったのです。
 私達の人生には、自分の経験や知識や力では、もうどうすることもできない、という問題にぶつかることがあります。その時は解決の糸口も見えずただただ、苦しい思いをするのですが、多くの場合私たちは問題の嵐の中で本当の意味で神様と出会うのです。苦しみの中で神様を見上げた時、暗闇の中で希望の光である神様を見出すことができるのです。
 ネブカデネザル王が、苦しみの中で神と出会った様に、無駄な事は何一つされない神様が問題の中にあって、私達と個人的に出会いたいと待っていてくださるのです。一番苦しい時にこそ、神様を見上げる者となりましょう。祝福をお祈りいたします。