メッセージ


聖書箇所

ローマ15章13〜16節
Uコリント3章16〜18節

11月16日(日)
メッセージ

大久保旨子
説教題:「御霊によって変えられる」

(1)聖霊は聖めてくださる  ローマ書15章16節の御言葉から聖霊は私達を神様に捧げる供え物として聖めてくださるお方であることがわかります。そして、神様が私たちに求めておられることは、あなた自身を供え物として捧げなさいということです。(ローマ12:1)
 神様にお捧げするのであれば、最上のものをお捧げしたいと思うのではないでしょうか。ですから私たちは、愛するイエス様の為に自分を聖め、その時の一番良いものを神様に捧げ続ける者でありたいと思います。
 私たちが聖められるということは、私たちの内側で聖霊が生きるということです。私たちの心の内側にある罪の性質、自己中心が滅んで死に、私達の内におられる聖霊様が中心となって生きるという状態です。私たちが一番良いものを神様に捧げたい、聖い生きた供え物になりたいと思っていても、その最大の敵となるものが私たちの内側にある自己中心です。聖霊が生きてほしいと願っていても、聖霊の働きを邪魔しているのが自己中心なのです。  自己中心は罪の本質です。あらゆる罪はこの自己中心から派生しています。私達がこの自分の自己中心に向き合って戦わない限り、聖霊が私たちの内側で自由に生き、御霊によって生きるということや、御霊によって聖められるということは到底難しいでしょう。  私たちの自己中心、自我が砕かれ、小さくされることに比例して、聖霊が大きく働かれるのです。そして私たちが自我を捨て自己中心ではなく、聖霊中心になって聖霊が私たちの内で生きることが、御霊による聖めなのです。私たちは自分自身を聖い生きた供え物として愛する神様に捧げるべく、その一番の敵である自我と戦い、聖さを求める者でありたいと思います。

(2)御霊によってキリストの似姿に変えられる
 私たちの目指すところはイエス様のようになることです。それは聖書に書かれているイエス様のお姿に倣って生きていくという事です。
 イエス様は聖書を通して、わたしがあなたがたの模範であるということを何度も示してこられました。ですからイエス様のご性質に倣い、イエス様がされた事に倣い、イエス様を模範として信仰生活を送るように導かれているのです。
 ローマ13章14節では、イエス様のようになることを「イエスキリストを着なさい」という表現で書かれています。私たちがイエス様に倣って生きるという事は自我を滅ぼすという内向的なものだけではありません。イエス様の持つ、無条件の愛を隣人に示すこと、へりくだって人に仕える姿勢、忠実で誠実、罪から離れ、神様の使命に生きる姿、人々に証し伝道され、赦しに満ちた愛をもつことを意味します。聖書を見るならば、そのようなイエス様のご性質がびっしりと書き記され示されているのです。
 私たちはこのイエス様に倣い、日々の生活のあらゆる場面で、イエス様ならどうされるか、何と言われるかと考え日々求めていくうちに柔和で穏やかな霊が心を支配し、笑顔で日々過ごすことができるのではないでしょうか。一歩ずつではあっても少しずつイエス様の似姿に近づく者でありたいと思います。

 私達はどんなに信仰歴が長く熟練しているようでも、この世で完全にイエス様のようになることはありえません。しかし完全になれなくとも、昨日より今日、今日より明日の自分がイエス様に近づいている者であるように目指し、追い求め続けるのです。それも聖霊の助けによるものです。聖霊が私たちの内側から働いてくださいますから、聖霊の促しに応答し変えられてゆきたいと思います。祝福をお祈りいたします。