メッセージ


聖書箇所

ピリピ2章6〜11節

12月14日(日)
メッセージ

大久保旨子
説教題:「降りてこられたイエス様」

イエス様のお誕生からイエス様の愛とご性質について見てゆきたいと思います

(1) 飼い葉おけで生まれたイエス様
 イエス・キリストは、三位一体の「神」であられる方です。また、「すべてのものは、この方によって造られた。造られたもので、この方によらずにできたものは一つもない。」というように、「天地の創り主」でもあります。また、イエス様は全ての人々に、救いの光をもたらすために来て下さった、まことの救い主です。
 ですからそのようなお方の誕生は、盛大に華やかで、美しく清潔で、大勢の人に囲まれ祝されて良いはずです。しかし、イエス様のお誕生はそれとは正反対のものでした。ナザレからベツレヘムまでの長い旅、宿も空いてはいません。マリヤとヨセフが最終的に行き着いたのは、ヤギやロバなどを飼う家畜小屋でした。そして生まれたイエス様は布にくるまれて、飼い葉おけに寝かされたのです。イエス様はとても貧しく何もない状態で、救い主としてこの世界にお生まれになったのです。これは神であるイエス様が、弱く小さく罪深い私達の位にまで降りてきてくださったことを意味します。
 天地を作られた神であるイエス様は、わたしを信じなさい、私のようになりなさい。わたしを目指して努力しなさい。と天から私達を見下ろして家来に命令するように語りかける方ではありません。
 むしろ、神である方なのに、その位、神である特権、安全、幸せということを捨てる事ができないとは考えないで、ご自分を無にして人間と同じようになってくださったのです。(6節)

 イエス様は、人間と同じように、私達と同じように、あらゆる苦しみや、試みを味わわれました。そして人間に与えられている死ぬということも受け入れられ、ただ死ぬ定めに従われたのではなく、全世界の人々の罪の罰を代わりに背負うという、十字架による死刑にまでも従われたのです。(ヘブル4:15,16)
 私達が心に留めたいことは、イエス様は私たちの目線にまで、今いるところまで身を低くし、降りてきてくださったお方だということです。私たちが味わうあらゆる悩みや苦しみを一番に理解し、憐み深い愛で私達を慰め、一番の問題である罪からの救いを与えて下さったお方です。私達はそのイエス様の心砕かれた愛に習う者でありたいと思います。

(2) 小さき者のために
 イエス様がベツレヘムの家畜小屋でお生まれになったとき、その知らせは御使いによって羊飼いの元にも届きました。何故羊飼いに知らせがいったのでしょうか。聖書の時代、羊飼いと言うのは貧しく、低い身分が低く、人々から嫌われる職業であり、社会の枠組みからは遠ざけられていた存在でした。そんな彼ら羊飼いたちに対して直接、「あなたがたのために救い主がお生まれになった」との知らせがあったのです。
 羊飼いたちは自分に向けて語られたこの天使の声に本気で耳を傾け、ベツレヘムへと急ぎました。そして知らされた通りそのままに、飼い葉桶に寝かされている幼子を見たのでした。羊飼いたちは、何一つ着飾ってはいませんでした。そして、幼子イエス様もまた、同じように何も着飾ってはいませんでした。ここに私たちの位にまで降りてきてくださった神の愛と、本当に私たちの救い主なのだ、という感動を受けます。
イエス様の救いは、小さい者、自分など取るに足らないと思っている者、救いを求める全ての人に届くために与えられているのです。

このクリスマスの時期に、イエス様が自分自身にくださった、大きな愛を改めて受け取り、深く感謝してクリスマスを迎える者となりましょう。