メッセージ


聖書箇所

ヨハネ1:4〜5

12月21日(日)
メッセージ

大久保旨子
説教題:「希望の光」

この方にいのちがあった。このいのちは人の光であった。
光はやみの中に輝いている。やみはこれに打ち勝たなかった。

世界で初めのクリスマスは今から2000年以上も前の昔に貧しく、静かで、少ない人数の中で始まりました。ユダヤにあるベツレヘムという田舎町の家畜小屋でイエスキリストはお生まれになりました。クリスマスとは、このイエスキリストのお誕生を記念してお祝いする日なのです。
では、イエスキリストの誕生は私たちと、どのような関係があるのでしょうか。

 聖書は、イエスキリストは私たちにとっての「希望の光」であると語っています。私たちにとってイエスキリストとは、私たちの人生における暗闇をあたたかく照らしてくださるお方なのです。
 人生の中で誰もが必ず通る困難や逆境、失敗や挫折、自分にはどうすることも出来ない問題、病気のこと、経済的困難、人間関係においての悩み、そんな暗闇ともいえる人生の谷底において、イエスキリストは希望の光となってくださるのです。
 また、それだけではありません。聖書は、全世界の全ての人は、心に闇を持っていると語っています。その闇とは罪の事を指します。この罪とは目には見えない、私たちの心の内側にある、愛のなさ、人を赦せない心、怒りなどの自己中心的な思いの事を指します。これらの心の闇が解決されない限り、私たちにとって本当の意味での幸せは訪れません。真っ暗な部屋を唯一明るく照らしてくれる、暖かいロウソクの光のように、イエスキリストはそのような暗闇に満ちたこの世界において、希望の光となられるために来られました。そして私達に希望を与え、問題の解決を与え、何より闇である罪からの救いを与えてくださったのです。
 ですから、イエスキリストの誕生は決して私たちに関係の無い事ではなく、このイエスキリストこそが、全世界、全ての人の為に与えられた、最上のクリスマスプレゼントなのです。

 日本は、「魂の被災地」であると言われています。心や魂が、悲鳴をあげ、助けを求めている人が本当に多く居るのです。沢山の人が人には言えない大きな孤独感、疎外感、劣等感を抱え、自分は生きる価値が無いと思ってしまっているのです。
 私達は自分の事を本当に大切に思ってくれる人、能力に関係なく、存在そのものを喜んで、愛してくれる、そんな人を誰もが求めているのではないでしょうか。あなたがそこにいてくれるだけで私は嬉しい。と言ってくれる人がいたら、どんなに心強い事か…。それだけで、人は自分のいのちを自ら断とうとは思わないはずです。

 まばたきの詩人として有名な、水野源三さんは9歳の時にかかった赤痢による高熱によって脳性麻痺を起こしてしまい、やがて目と耳の機能以外のすべてを失ってしまいます。その後、五十音を指し示すその瞬きにより、一字一字水野さんの思いが言葉となり意思疎通が出来るようになりました。そして12歳の時、イエスキリストと出会いクリスチャンとなったのです。水野さんの詩は、神への喜びを表す純粋な詩でクリスチャンだけにとどまらず、多くの人々の心を打ち、今も感動を与え続けています。
 私たちが神を信じ、このお方の愛に触れる時、絶望と思える状況であっても、神様からの慰めが心を満たすのです。喜びと安らぎが心に溢れるのです。どんなに暗闇だと思える状況の中にあっても、その心を温かく照らし、愛で満たしてくださる方。罪の赦しと救いを与えて下さるお方、それが私たちの希望である、イエス・キリストなのです。この「希望の光と神の愛」は、全ての人に与えられています。クリスマスの良き日に、希望の光であるイエス・キリストを信じ、心にお迎えしましょう。
祝福をお祈りいたします。