メッセージ


聖書箇所

マタイ22章36〜40節、Tヨハネ5章1〜5

1月11日(日)
メッセージ

大久保旨子
説教題:「愛による勝利」

(1)もっとも大切な戒め
 先にマタイの福音書を見ていただきました。最初の36節は律法学者 がイエス様にした質問です。イエス様は沢山ある律法の中で、一番大切な戒めは、神を愛し、人を愛することである(37〜39)と語られました。そして40節にあるように律法全体と預言者とが、この戒めにかかっているとあります。また、ローマの13章には、愛は律法を全うします。と書かれているのと同じように、律法はこの二つの戒めの中に集約され、この二つの戒めを守ることが律法全体を守る事になると聖書は語っているのです。

(2)神との愛の関係を築く
 Tヨハネの5章1節にある、神によって生まれた、というのは神の子どもとされたということです。つまり1〜2節で書かれている事は、イエスキリストを私たちの罪をあがなってくださった救い主として信じたのなら信じた全てのひとは神様の子どもであり、そして神の子どもとされたわたしたちは神様を愛することによって、神の子どもである隣人をも愛することができるということです。
 ですから、私たちにとってまず一番に大切なのは、神を愛するということです。この神を愛するという表現は、他の宗教にはあまり聞きません。何故、神を愛するという表現が使われているのでしょう。
 それは、私たちの信じている神が私たちと個人的な交わりを持ってくださり、私たちが神様を友と呼ぶことや、お父さんと呼びかける事を許してくださり、私達と親しく個人的に愛の関係を築いてくださる方であるからです。
 聖書を通して表されている私たちの信じる神様は、私達に愛していると語りかけてくださるお方です。ひとりひとりの存在が高価で貴いと言ってくださるお方です。無条件の愛のお方、罪を許してくださる方、この方が私たちの神様なのです。この愛に触れた時、この愛を一身に受けた時、私たちは神様を愛さずにはいられません。この神の溢れるほどの愛を受け取り、私達も神様を愛しましょう。

(3)神の命令は重荷とはならない
 人は、誰かが自分を大切に思ってくれている、自分の存在を喜んでくれている、それだけで生きる力や元気が湧いてきます。そして自分を愛してくれる人を自分も愛し、愛を表したいと思うのではないでしょうか。私たちが神様に従う時、神様の命令を守ろうとする時も同じです。私たちの心の動機は、神様が私達を愛してくださった、その愛への応答であるべきです。神様はこんなに私たちの事を大切に思ってくれている、愛してくれている、だから神様の嫌がることはやめよう。私たちをいのちがけで愛してくださってる愛に応えていこう。この愛への応答が、私たちの信仰生活の原動力になる時、まさに3節のみことばが言えるのです。神様の愛に応えたい、応答したい、と言う心が私たちの内側にあふれるとき、神様の命令や聖書を通して語られているメッセージは私たちの重荷とはならないのです。

(4)勝利者として生きる
 イエスキリストが私たちの罪をあがなってくださった救い主であると信じた私たちは、この世の中にあって勝利者とされています。  勝利者として生きるというのは、問題や困難がなくなる、ということではありませんが、この世の悪に既に完全に勝利された神様が私達と共にいるので、私たちも神様と共に歩む信仰によって、これらの一切の悪の力に対抗し、勝利することができるのです。私たちは問題や困難に埋もれてしまうと神様を見上げる事ができなくなります。しかし、神様を見つめて、神様を愛することに集中していると、問題や困難が小さくなり、希望を失うことなく、勝利を宣言して立ち上がることができるようにされます。そうなると私たちの人生には、神様の愛に満たされ、揺るがない希望と勝利が満ちる歩みとされていくのです。
世に勝つ者とはだれでしょう。イエスを神の御子と信じる者ではありませんか。

祝福をお祈りいたします。