メッセージ


聖書箇所

ガラテヤ人への手紙5章1節
キリストは、自由を得させるために、私たちを解放してくださいました。ですから、あなたがたは、しっかり立って、またと奴隷のくびきを負わせられないようにしなさい。

3月8日(日)
メッセージ

濱野好邦
説教題:「自由を得させるキリスト」

説教要旨:罪の力から解放され、希望に満たされて、神様の御国に向けて、まっすぐに立って歩みましょう。

マタイ26章38節39節
 イエスは彼らに言われた。「わたしは悲しみのあまり死ぬほどです。ここを離れないで、わたしといっしょに目をさましていなさい。」それから、イエスは少し進んで行って、ひれ伏して祈って言われた。「わが父よ。できますならば、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの願うようにではなく、あなたのみこころのように、なさってください。」
「100%の信頼について」
 「私たちの人生を成功させてくださる御方は神様だけだ」という信仰が私たちに必要なのです。ダビデは、あなたに信頼していますと語って、自分の人生全般を神様の御手にゆだねていることを神様に告白しています。私たちの神様への信頼の度合いが100%に達するときに神様の救いが私たちの心の中に実現するのです。
 実現する救いは、これで良し、という安らぎです。必要なことは、「わたしの願うようにではなく、あなたのみこころのように、なさってください」と、神様の御手にゆだねる信頼の気持ちです。祈りの結果は神様に任せることです。自分で重荷を背負い込まないようにしましょう。神を愛するもののためにはすべてのことが働いて益となるというみことばをいつも思い出して生きて行きたいと思います。

申命記26章6節〜9節
 エジプト人は、私たちを虐待し、苦しめ、私たちに過酷な労働を課しました。私たちが、私たちの父祖の神、主に叫びますと、主は私たちの声を聞き、私たちの窮状と労苦と圧迫をご覧になりました。そこで、主は力強い御手と、伸べられた腕と、恐ろしい力と、しるしと、不思議とをもって、私たちをエジプトから連れ出し、この所に導き入れ、乳と蜜の流れる地、この地を私たちに下さいました。
「脱出の道」
 これは、モーセが民の長老たちに、出エジプトの旅を終え、約束の国カナンへ入国し、農地を開拓して農産物を収穫できたときに、その収穫物を祭司に届け、神様の祭壇に捧げるときに述べる口上として教えたことばの一部です。イスラエルがエジプトで被った労苦は言葉では言い表すことのできないほどのものでしたが神様はその窮状をご覧になって救いの手を指し伸べてくださったのです。
 乳と密の流れる地とは、神様の祝福が注がれていて、農産物が豊かに収穫できる肥沃の土地という意味です。一房のぶどうも二人で担がなければ持ち運びできないほどでした。エジプトでの生活も、荒野の旅路も辛く過酷を極めましたが、そこを乗り越えたイスラエルには神様の豊かな祝福が備えられていたのです。
 出エジプトの出来事は、神様が永遠の救い主であることを全世界のすべての人に知らせるために起こった歴史の事実です。これはすべての人に対してイエス・キリストの十字架の死と復活による神様の救いとして実現しました。神様を否定する罪の世界エジプトから脱出して、神様の永遠の愛の世界で生きられるようになるということを予告する出来事だったのです。
 私たちも「もうこれ以上生きていけない」というほどの状況に追い込まれることがあります。しかし、絶望してはいけません。出エジプトの出来事は今でも私たちの個人的生活の中で繰り返し神様によって実施されています。「神は真実な方ですから、あなたがたを、耐えられないほどの試練に会わせることはなさいません。むしろ、耐えられるように試練とともに脱出の道も備えてくださいます」というコリント人への手紙第一のみことばを思い出します。
罪の力から解放され、希望に満たされて、神様の御国に向けて、まっすぐに立って歩みましょう。

******************* 洗礼式へのメッセージ ******************* 

ローマ人への手紙10章9節10節
 あなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせてくださったと信じるなら、あなたは救われるからです。人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。
「信仰告白」
 洗礼式とは、全身を水に浸す儀式です。過去の罪に汚れた自分を水葬にし、イエス・キリストを信じて神様と共に生きる新しい自分が誕生するということです。キリストが十字架で死に、三日目に復活したのと同じです。信じるとは、イエス・キリストの十字架の死と復活は私のためだったと信じるということです。洗礼式は私たちの人生に区切りを付けるということでとても意義深いのです。
 次に、もう一つの意味をお話しします。洗礼式は「キリストへの信仰を告白する儀式」です。牧師は受洗者に「あなたは主イエス・キリストを自分の救い主であると信じますか」と質問します。受洗者は「はい。私は、主イエス・キリストを自分の救い主であると信じます」と答えます。「はい。」だけでも十分です。これが完璧な信仰の告白なのです。そしてその言葉が真実であることを表すために水をかぶります。信仰を行動で表現すると言うことです。
 三つ目に、洗礼式は、クリスチャンになるということです。教会の入会式を兼ねて行われます。他の教会で洗礼を受けて別の教会に転会するという場合があります。 そういう時は、転会式とか入会式というような名称です。キリストの地上における身体である教会に所属して教会員になります。教会の礼拝を初め、様々な行事に積極的に参加していただきます。また、献金をもって教会を支えていただきます。
 洗礼式の意味は以上の三つです。ここで受洗者に一言お願いをします。毎日、聖書を読んでお祈りをしてください。
互いに愛し合い、キリストによる救いの恵を他の人にお話してください。