メッセージ


聖書箇所

神の御霊に導かれる人は、だれでも神の子どもです。
ローマ8:14

8月16日(日)
メッセージ

濱野好邦
説教題:「みことばに導かれて生きる人」
説教要旨:私たちの生活に与えられる神様の導きを受けとめる心の備えをさせて頂きまょう。神様は私たちを、聖書を基準として生きる人であるようにと導いて下さいます。

神様はご自分がお造りになった世界を完成に向けて今なお養い導いています。神様は造って造りっぱなしにするお方ではないからです。イスラエルを選んだ神様はイスラエルが神様のご計画通りに使命を果たしていけるように導き続けています。
戦前に於いて、ドイツのナチス党による激しいユダヤ攻撃がありました。ベニスの商人などの作品によって世界中でユダヤ人のイメージは落とされてしまいました。中近東の紛争はイスラエルが原因を作っているという宣伝もイスラエルの立場を悪くしています。しかし、神様はそういうイスラエルを用いて世界に救いを与えようとしているのです。

 旧約聖書に列王記という書物と歴代誌という書物があります。この二冊の本は、ソロモンの死後からエルサレム陥落まで、ほぼ同じ内容の出来事が収録されています。列王記は歴代のイスラエル国王の年代記としてエルサレムがバビロニヤに攻め滅ぼされる前にエレミヤなどによって書かれたと伝えられています。

 歴代誌はバビロンの捕囚とされたユダヤ人がエルサレムに帰ってきたとき、ユダヤ人に神殿での礼拝の重要性を教えるためにエズラによって書かれたとユダヤ人社会で伝承されています。エズラはユダヤ人がバビロンから帰還するときの指導者です。

 イスラエルは出エジプトの後、士師の時代を経てサウルとダビデによってイスラエル王国として建国されました。しかし、宗教面での組織化はされていませんでした。バビロン捕囚からの帰還後にユダヤ教という宗教が成立したのです。 その土台になったのが歴代誌という書物だったのです。ユダヤ教徒の神様への感謝と賛美の礼拝は、出エジプトの記憶に源泉があります。

 そして国家宗教としてのユダヤ教はバビロン捕囚以後に確立されたのです。二度にわたって外国の奴隷となる悲惨な苦しみを味わったイスラエルでしたがそれらは神様の確かな導きの御手の中で着実に行なわれたことだったのです。

 今日は歴代誌の中にある神様の導きの例を学び、私たちの生活に与えられる神様の導きを受けとめる心の備えをさせて頂きましょう。神様は私たちを聖書のみことばによって導いて下さるのです。

歴代誌第二5章13節
ラッパを吹き鳴らす者、歌うたいたちが、まるでひとりででもあるかのように一致して歌声を響かせ、主を賛美し、ほめたたえた。そして、ラッパとシンバルとさまざまの楽器をかなでて声をあげ「主はまことにいつくしみ深い。その恵みはとこしえまで」と主に向かって賛美した。そのとき、その宮、すなわち主の宮は雲で満ちた。

「エルサレム神殿」
ソロモンが建てたエルサレム神殿に主の栄光が神の宮に満ちました。2歴代誌5章は1列王記8章の並行記事です。列王記はユダヤがバビロニヤの補囚となる前にエレミヤなどの予言者によって書かれ、歴代誌は補囚後にエズラによって書かれたと言われています。そして、歴代誌はバビロンからエルサレムに帰還したユダヤ人に神殿での礼拝を重んじるように指導するために書かれたのです。
神殿の意義は、第一に、神様の臨在の場所であること、第二に、恒久的礼拝場所であるということ、第三に、神様と神様の民の契約の象徴であること、第四は、神の民に罪の重さと罪の赦しを教える実物教育であること、第五は、キリストの到来を予告するものであり、第六は、当時の建築技術と科学、芸術の粋を集めて神様を讃美していること、第七は、祈りの場所であることです。
エルサレムに建てられた神様の神殿は、神様の民を養い導くために神様によって建てられたのです。イエス・キリストは復活して永遠の神殿となりました。エルサレレム神殿もキリストの型なのでした。キリストは、神殿の意義の第一から第七にはるかに優る存在であり、宮に満ちた雲に象徴される栄光にも優る栄光で輝いている御方です。
神様はいく世代、いく世代もの長い年月をかけて神様の民を導き続けました。これからも神様は私たちを導き続けます。私たちは到達もしていませんし、勿論、完成もされていません。キリストが再臨する日、神様の長いご計画が達成されます。私たちはその日を待ち望みつつ今の時を希望を持って生きているのです。

歴代誌第二15章7節8節
しかし、あなたがたこそ強くあってほしいのです。力を落としてはなりません。あなたがたの働きには報いが伴っているからです。アサは、これらのことばと預言者オデデによって預言されたことを聞いたとき、奮い立って、ユダとベニヤミンの全地から、また彼がエフライムの山地で攻め取った町々から、忌むべき物を除いた。そして、主の玄関の前にあった主の祭壇を新しくした。

「礼拝の刷新」
これは、ユダ国のオデデという予言者がその国の王であるアサに語ったことばの一部です。その時期は、ソロモンの死によって国が南北に分裂してから40年ほど経過していました。ユダ国は北のイスラエルとの戦いが絶えず、且つ、クシュと呼ばれる今のエチオピヤからの攻撃を退けた直後でした。アサはソロモンから数えて4代目であり、レハブアム王の孫に当たる人物です。
アサ王は、王位について以来、祈り深くあり、偶像を撤去し、国民に対しては律法を遵守させるように努力していました。しかし、国内外の治安の乱れは治まっていませんでした。神様はオデデに神様の御霊を注いでアサに「あなたがたこそ強くあってほしいのです」と言わせたのです。神様に対して敬虔に生きる人が勇敢に立ち上がるとき国は安定し、人々は安らかに生きることができるからです。神様がアサの信仰を祝福して期待しているということです。
アサはオデデのことばを聞いたときに、自分の支配地全域から偶像その他の忌むべきもの、罪に当たるものを取り除き、更に、祭壇を新調して御父への礼拝に力を注ぎました。これは、悔い改めを徹底したということです。信仰を持って礼拝している人でも、その生活の中に改めるべき事がらは多々あるものです。「もう自分には悔い改めることは何も無い」と言える人はいないということです。
アサは礼拝を刷新しました。私たちも、聖書のみことばに導かれ、常に「本来はどうあるべきか」を考えて行動していくことが必要です。キリストはまさに本来の在り方を貫いた御方です。パウロは弟子のテモテに「聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です」と言って信仰の指導をしました (2テモテ3:16)。神様は預言者を通し、聖書を通して私たちを神様の御国へと導いてくださいます。

歴代誌第二34章30節31節
王は主の宮へ上って行った。ユダのすべての人、エルサレムの住民、祭司とレビ人および、上の者も下の者も、すべての民が行った。そこで彼は主の宮で発見された契約の書のことばをみな、彼らに読み聞かせた。それから、王はその定めの場所に立ち、主の前に契約を結び、主に従って歩み、心を尽くし、精神を尽くして、主の命令と、あかしと、おきてを守り、この書物にしるされている契約のことばを行うことを誓った。

「この書物」
この王様は8歳で王位に就いたヨシヤです。時期はユダヤ滅亡の50年前のことでした。就任8年目、16歳の時から主への礼拝の道に進みました。4年後、20歳になって、国中から偶像を取り除く宗教改革に立ち上がりました。18年目、26歳の時に神殿の修復を命じました。その工事の指揮を執っていた大祭司ヒルキヤは神殿に収納されていた「契約の書」(律法)を発見し、ヨシヤ王に届けました。
その書には「あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない」と明記され、この命令に反するなら国も民も滅びると書かれていました。ヨシヤ王は歴代の王と民の指導者たちが神様のいましめをおろそかにしていたことを傷み悲しみ神様に対して涙の悔い改めをしたのです。神様はそれを認め、ヨシヤの生存中にはユダヤの滅亡はないことを保証されました。
それを受けてヨシヤは、全国民に向けてこの書を読み上げ、民は「この書物にしるされている契約のことばを行うことを誓った」のです。ユダヤはヨシヤの生存中は主に従う道からはずれなかったのです。このエピソードから、私たちには悔い改めるのに遅すぎるということは無いということを教えられます。ヨシヤは39歳でエジプト軍との戦争で戦死し、立派な王として埋葬されました。
聖書には人間の本来の生きる道が書かれています。人間を造った神様が、人間に幸福な人生を送るための「人生の取扱説明書」として与えてくださったものです。私たちが様々な機器を取扱説明書の指示に反して扱うならば、機器は壊れるか、使用した人が怪我をすることになるのです。聖書を信仰と生活の基準にするということはとても大事なことであり、人生は自分の好き勝手にはならないのです。自分の好き勝手をすること、それが偶像礼拝なのです。神様は私たちを、聖書を基準として生きる人であるようにと導いて下さいます。アーメン。