メッセージ


聖書箇所

ついで、ダビデは言った。「獅子や、熊の爪から私を救い出してくださった【主】は、あのペリシテ人の手からも私を救い出してくださいます。」サウルはダビデに言った。「行きなさい。【主】があなたとともにおられるように。」
Tサムエル 17:37

09月06日(日)
メッセージ

大久保望信
説教題:「ダビデの目の付け所」

 サウル王がまだイスラエルを治めていた頃に、敵のペリシテ人と戦うことになりました。いつものように戦うならば問題はありませんでしたが、その時の戦はいつもの戦と少し違いました。それは、敵の中からゴリアテという名前の大柄で、戦いに慣れている戦士が一騎打ちを仕掛けてきたのです。そして、負けた方が勝った方の奴隷となることが条件でした。それを聞いたイスラエルの民は、意気消沈し、非常に恐れてしまいました。

 私たちにも、目には見えない霊的な戦いがあります。何か問題が起きた時にわいてくる恐れや不安、罪の誘惑やその罪責感。それは、目には見えませんが私たちを縛り、神様から目を背けさせようとする悪魔の攻撃です。

 私たちはそのような霊的戦いに勝利していくために、毎日御言葉に根差し、私たちの見るべきところを意識しなければなりません。

 そして、このような絶体絶命の状況の中で、ダビデが状況を一変させます。ダビデは兵士ではありませんでしたが、兄の弁当を持ってきてその戦いの様子を見ました。そこでは天地を造られた神、イスラエルをあらゆる災いから助けてくださった、生ける神を馬鹿にするゴリアテを見た時に、ダビデには恐れではなく怒りが込み上げました。そして、ダビデがゴリアテと戦うと提案しました。聖書、Tサムエル記17章37節を読みます。

 17:37 ついで、ダビデは言った。「獅子や、熊の爪から私を救い出してくださった【主】は、あのペリシテ人の手からも私を救い出してくださいます。」サウルはダビデに言った。「行きなさい。【主】があなたとともにおられるように。」

 この時のダビデの武器は、研ぎ澄まされた剣でも、ヤリや弓でもなく、普段使い慣れた杖と石投げの袋、そして何よりも神様への信仰でした。ここでダビデの目の付け所に注目してみたいと思います。彼の見ていたものはサウル王やイスラエル人の兵隊とは違いました。彼は、自分とゴリアテを比べるのではなく、神様とゴリアテとを比べ、この戦いは勝利することが出来ると確信しました。では、サウル王はどうでしょうか?それは、ダビデの年齢や経験でした。確かに、体格や戦いの経験を考えるならば二人の力の差は歴然でした。しかし、この戦いで見なければならなかったのは、ダビデとゴリアテの力の差ではありません。ダビデとともにいるのが誰かということです。

 私たちにとって今自分の前に立ちはだかるゴリアテは何でしょうか?
 私たちはどのようなところに目を向けるでしょうか?

 イエス様が十字架にかかったのは、全ての人を救うためです。だとするならば、私たちが身の回りの問題に苦しむ時に、助けをくださらないわけがありません。神様はただ存在しているのではなく、私たちのことを知り、私たちの気持ちを一番知っておられます。勝利を与えてくださるお方をいつも見つめ、自分の今置かれた状況で主の勝利を体験していきましょう。