メッセージ


聖書箇所

あなたは白髪の老人の前では起立し、老人を敬い、またあなたの神を恐れなければならない。わたしは主である。
レビ19:32

9月13日(日)
メッセージ

濱野好邦
説教題:「老人を敬え」
説教要旨:聖書で教えられているとおりに、敬老の心を養いましょう。

「老人を敬え」これは聖書にある老人を尊敬しなさいという神様の命令であり、神様がお立てになった掟です。聖書には先祖への言及が295回あります。そして老人へのことばは24回登場します。老人は健在する先祖であり、今の私たちを造り上げた尊い方々なのです。神様は先祖への約束を基に私たちに救いを初め、すべての恵と祝福を与えていてくださるからです。

「親を思う子心に勝る、親心。」という有名なことわざがあります。私たちは逆立ちしても親たちが私たちを愛してくれたほどには親を愛すことはできないのかも知れません。

親の葬儀に際して、親の死を悼んで無き悲しむ息子たちの姿をしばしば見かけます。その人たちが口にすることばは、自分は親の愛には勝てない、というのです。どこの世界に自分を愛して育ててくれた親に勝って、親孝行をすることができる人がいるでしょう。だとすれば、私たちは老人の前で起立する以外には何もできないではありませんか。

私はかつてある姉妹から、私はお父さんに対して自分でできる限りの愛の行いをしてしまいました。この後、私はお父さんに何をしてあげることができるのでしょう?という質問を受けたことがあります。

私は、待っていました、とばかり、お父さんが仕事から帰ってきたら、お父さんと並んで座って、お父さんに、今日はどんなことがありましたか、私に教えてください、と言って、お父さんのお話を聞いてくださいと言いました。

その姉妹は、毎日お父さんが帰ってくると、お父さんから一日の出来事を聞くようになったのです。私たちは何もできないのですが、お聞きすることはできます。逆の立場では自分の話を聞いてくれる人が居るということほど在りがたいことは無いとも言えるわけです。

そして、その「猛」という名のお父さんの心が開かれました。71歳で天に召されていきましたが、息を引き取る前に、洗礼を受けたいと言い、好枝が駆けつけて病床洗礼につながりました。

自分の娘の心に自分では愛を注ぎ込むことができなかったけれど、キリストが自分の娘の心に愛を注ぎ込んで、親を愛すことのできる人に仕立て上げてくださったというキリストへの感謝からの受洗でした。

お父さんも、お母さんも心の中の最大の願いは、手塩に掛けて愛して育てた、我が子から愛されることです。我が子からの自分への愛のことばを聞きたいわけです。疲れた心を優しくいやしてもらいたいのです。

年を取った親への愛情を表現できるのはクリスチャンです。罪深い私たちのために一命を投げ捨てて、私たちと神様とを和解させてくださったイエス様の愛を知っている私たちこそ、肉親にも隣人にも愛を示すことができるからです。