メッセージ


聖書箇所

ローマ人への手紙12章1節2節
あなたがたのからだを、神に喜ばれる、生きた、聖なる供え物としてささげなさい。

1月31日(日)
メッセージ

濱野 好邦
説教題:「人生を神様に献げる信仰」
説教要旨:キリストの招きに応じて、キリストに信頼し、神様の御国を目ざして揺るぎない人生を生きていきましょう。

 私たちはこれまで創世記の中から神様を信じた人々の生き方を学んできましたが、今日はマタイの福音書からイエス様のみことばによってキリストを信じて生きる生き方を学ばせて頂きましょう。

 マタイの福音書10章18節19節20節
 あなたがたは、わたしのゆえに、総督たちや王たちの前に連れて行かれます。
 それは、彼らと異邦人たちにあかしをするためです。人々があなたがたを引き渡したとき、どのように話そうか、何を話そうかと心配するには及びません。
 話すべきことは、そのとき示されるからです。というのは、話すのはあなたがたではなく、あなたがたのうちにあって話されるあなたがたの父の御霊だからです。
 「献身の召し」
 神様は私たちを宣教する人、伝道する人、証をする人、キリストを紹介する人になるようにと招いています。キリストを信じているということで逮捕されることも、裁判に掛けられることも外国に追放されることも、すべてはイエス・キリストの十字架と復活による人類救済の御業を証言するためなのです。
 私たちが証言すべき位置についたときには、聖霊様ご自身が私たちの口を通してお語りになるので、私たちは、どう話そうかと考えたり心配する必要はないのです。私たちに必要なことは、イエス様の十字架によって罪を赦され、イエス様の復活によって新しい人間に生まれ変わったという新生の体験をすることです。
 クリスチャンとして誠実に生き、そして、聖書に対して忠実に生きているならば神様はそういう人をキリストの十字架と復活の証人として用いてくださいます。牧師となり、宣教師となって神様への献身の道を歩もうとする場合は、神様が自分を献身の道に召しているという確信を授かることが必要です。これを献身の召命を受けるといいます。
 神様はすべての人を神様の御用に招いているのですが、それを他人事と思う人には献身の召命にはならず、私が招かれていると受け止める人にはその受け止めが献身の召しの確信になるのです。私の場合「主がお入用なのです」(ルカ19:31)というみことばがキリストの私を招くことばとして私の心に届きました。神様は私たち一人一人の人間が必要なのです。私のことではないと思ってはいけないのです。私たちはロバの子以上の存在だからです。

 マタイの福音書10章30節31節32節
 あなたがたの頭の毛さえも、みな数えられています。だから恐れることはありません。あなたがたは、たくさんの雀よりもすぐれた者です。ですから、わたしを人の前で認める者はみな、わたしも、天におられるわたしの父の前でその人を認めます。
 「信頼する気持ち」
 キリストを信じているということで迫害されることがあっても恐れることはないと言われています。それは神様が私たちの状況や境遇のすべてを完全に知っていてくださるからです。神様は私たちの髪の毛さえ全部数えていてくださるほどだと説明されています。私たちはイエス様の御手の中に置かれているので完全に守られるのです。
 福音を証する証人として立ち上がるということにも恐れや不安を感じる場合があります。神様のために一生涯を生きるために献身するということに於いても恐れが生じることもあるでしょうが、イエス様が「恐れることはありません」と言い切っています。神様はキリストに信頼する気持ちを持っている人を招き、キリストに信頼する気持ちを持っている人を奉仕者として用いてくださるのです。
 だから「わたしを人の前で認める者はみな、わたしも、天におられるわたしの父の前でその人を認めます」と言われるのです。洗礼を受けるときに牧師から「あなたはイエス・キリストを自分の救い主であると信じますか」という質問を受けます。受洗する人は皆「はい」と答えます。そのように他の人の前でイエス様が私の救い主ですと言えることがとても大切なことなのです。
 この点に於いて、恐れる必要は全くありません。イエス様がその人と共にいてくださるからです。私たちに恐怖心を持たせることがサタンの狙いです。私たちは神の御子、イエス・キリストを信じることによってサタンに勝つのです。私たちの心にキリストに信頼する気持ちがあればサタンは逃げていきます。自分の実情はキリストによって知られていると分かると私たちには勇気が湧いてきます。

 キリストの招きに応じて、キリストに信頼し、神様の御国を目ざして揺るぎない人生を生きていきましょう。