メッセージ 6/18   互いに励まし合い、互いに徳を高め合いなさい。1テサロニケ5:11

説教題 愛するということ〜互いに愛し合うことによって〜 牧 師
聖書箇所 「いまだかつて神を見た者はいません。わたしたちが互いに愛し合うならば、神はわたしたちの内にとどまってくださり、神の愛がわたしたちの内で全うされているのです」
ヨハネの手紙1 4章12節
佐藤 龍平
説教要旨

キリスト教は愛すること、互いに愛し合うことを要求する宗教だと思います。「互いに愛し合いなさい」と今日の聖句は私たちに命じています。そうすれば、「神はわたしたちの内にとどまる」と約束されているんです。心の状態がどんなに悪くても、愛する事をやめるなといっているのです。

もう自分には愛がないというときがあります。愛している余裕も愛もない状態です。また、こんな人愛せない、生理的に無理なんていうときもあります。心に半分しか愛が入っていないから、この愛はあの人だけのために使おうなんてこともあります。

しかし、聖句に従ってまた、信仰によって行動を起こすときに、奇跡は起こるのです。なかったはずの愛がどんどん流れ出るという奇跡です。それはどういうことなのでしょうか。

自分のではなく、神の愛が、自分の心を通して、行動を通して、人生を通して、口を通して、出て来ているのです。それは神に愛されていることを表しています

「いまだかつて神を見た者はいません。わたしたちが互いに愛し合うならば、神はわたしたちの内にとどまってくださり、神の愛がわたしたちの内で全うされているのです」

私たちは、自分の心に神様がとどまってくださるように、愛が尽きてしまわないように求めます。しかし、それには条件があります。互いに愛し合う事です。

このみことばは、互いに愛し合う決意をすれば、実行に移せば、いくらでも愛を与えると神様は約束をしてくれているんです。わたしたちの内側に愛があふれる状態を約束してくれるのです。もう自分では愛せないと思っていても、勇気を持って行動を起こすとき、想像もしなかった和解や、回復の道が開けるというような経験をするはずです。それは神様が働いてくださっていると体験する信仰者にとって何よりも尊い経験です。みことばではない、私たちの信仰の糧といってもいいのではないかと思います。

実践による確信の中で、私たちは神を感じるのだとこの個所は教えてくれているのです。愛する事を恐れずに実践できる人になりたいと思いませんか。