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2024年度
4月のみことば

 あなたがたは向きを変えて出発せよ。

 申命記1:7

 イスラエルの民を出エジプトさせ、カナンの地に導き出された民はモアブの草原に着きました。

 約束の地への第二の玄関口であるカデシュ・バルネアに到着、40年の第11の月の1日にイスラエルの民に主が命じられたことを、モーセの第一声が冒頭のみことばです。

 申命記は中国語訳で、最初に使われた書名です。神の命令を繰り返し解き明かしたモーセの書という意味です。つまり、【回顧と展望の書】と言ってよいでしょう。

 今、新しい世代が新しいリーダーに率いられ、歴史を拓いていく為に備え、ヘシュボンに住むアモリ人の王シホンを撃ち、バシャンの王オグを撃ち破った後語られたことばが『向きを変えて出発せよ』です。

 私が1968年基督聖協団聖書学院の玄関に掲げられていたみことばは、『聖霊の云える如くせよ』でした。奇しくも2024年聖協団聖書学院が復活したのです。祈りの群れとして使命を果たすよう主が力強い御手でプッシュしてくださいました。正に『向きを変えて出発せよ』です。

 イスラエルの民も目指すは、乳と蜜の流れる地カナンです。祝福に満たされた地です。

 地中海性気候で、地を潤す雨、収穫の雨二回の雨により作物が豊かに実る土地。聖書にカナンの地を偵察に行った斥候二人が棒で担いでくるほどの巨大なブドウが収穫できるのです。イスラエルの土産品にこのリーフレットがあり、旅行に行かれた人はよく買い求めています。

 神様がアブラハムから代々に渡って語り続けた約束の地に入るに、今まで通りでの歩みでは間に合わないことを『向きを変えて出発せよ』のことばに示されているのではないでしょうか。

 移動する。杭を抜くとの意味のように長い年月過ごしてきた天幕をたたんで、次のステッぷに向かうとのことでしょう。

 私たちであるなら、自己満足に陥ってないか、心の壊れ、破れがないか主に点検していただき、自己犠牲を伴う覚悟を持って、聖霊に満たしていただき、聖霊の云えるごとく踏み出していくよう勧めをいただきました。

 さあ出発しましょう。

濱野好枝

3月のみことば

 あなたがたは選ばれた種族、王である祭司、聖なる国民、神のものとされた民です。

ぺテロ第一の手紙2:9a

 ぺテロと聞くと、キリスト者でなくても“ああ、イエス・キリストが十字架に架けられる前、三度イエスを知らないと言った人だ“と思う人がおられるでしょう。

 キリストの弟子となるように召集を受けた時、すぐに網(漁師であった)を捨ててイエスに従った。

 また、キリストのことをあなたはどう言うかと問われた時、「生ける神の子キリスト(救い主)」と告白しました。このぺテロ手紙は『イエス・キリストの使徒ぺテロ』と自らの立場をはっきり示しています。これは徹頭徹尾主イエス・キリストの呼び掛けに応答する生涯へと変えられた姿です。

 ぺテロは迫害に苦しむ信徒たちに手紙を送り、励ましたのです。AD64年のローマの大火に続いて起こったネロ皇帝の迫害、さらに続く苦難に直面していたキリスト者たちを覚えて、この状況で、どう対処し、かつ世にあってどのように信仰に固く立って生きるかを諭しています。

 大ローマ帝国であっても『草はしおれ、花は散る』のですから、しっかりみことばの理解と明確な確信に立ち、何を捨て何を慕い求めるかを見極めるように伝えています。古い生活を悔い改め、バプテスマをもっ新しくされたその経験胸に、神のことばを求め続けるよう勧めています。

 その基礎は『主がいつくしみ深い方であることを、確かに味わいました』この経験です。全く新しい基準の内に生かされている事実を確認しているのです。

 私たちはしばしば自分に対する見方の基礎を、自分が成し遂げたことに置きます。しかし、私たちとキリストの関係は、私たちの仕事、成功、健康、知識等よりもはるかに重要です。私たちは神の民として選ばれたのであり、他の人々に神の素晴らしさを示すために召されました。私たちの価値は神の子どもであることですので、しっかり心に刻み、自分が成し遂げたことに心奪われることの無いようにしましょう。

 あくまでも自分が与えられた役割をしっかり踏まえて、その役割を主の来たりたもうまで果たさせていただきましょう。

濱野好枝

2月のみことば

 さあ主に立ち返ろう。私たちは知ろう。
主を知ることを切に求めよう。

ホセア書6:3

 ”立ち返る”とは、元の位置や状態に戻る。心を奪われていた状態から本来の自分に立ち戻る。悪しき効果を伴った行為から自分に立ち返るということです。

 神様以外のものに心を奪われていた私たちは、イエスキリスト様の所に帰りましょう。

 一度この素晴らしい神の恵みを体験した人々が、色々なキッカケで神様から離れてしまうことがあります。

 聖書に「わたしと誓いを立てたわたしの民をわたしの下に予備集めよ」との言葉があります。

 信じてバプテスマを受けたということは、神様と約束を結んだという印が心の中にあるのです。

 イスラエルも、アブラハム契約、ダビデ契約といって神との約束を結んでいます。ですから、背いても、離反しても必ず帰って来るのです。

 その足が早められるよう愛のことばで”立ち返ろう”と促しているのです。一方、”主を知ることを切に追い求めよう”とあります。

 ”知る”とは、合わせられる(結合)という意味があります。その結果、産み出されるものがあるということです。

 創4:1で「人はその妻を知った」と記されています。その結果「彼女は身ごもってカインを産み....」とあります。

 命の関係です。産み出されるものがあることを顕わしています。

 私たちが主を知ったとは、神の救いを我が身に受け、永遠の命があるということなのです。

 長血を患った女が、イエスと弟子たち、群衆がぞろぞろと歩いている所に入り、「その衣にだに触らば救われん」(マルコ5:28)とイエスの衣の裾にタッチすると、

 たちどころに血の元が止まり、救われました。癒し救いの体験をしたのです。

 色々な情報や煩雑な事象に捕らわれる時代に生きている私たちが真に求めることは【主を知る】ことです。

 それも切に追いかけて行って【主を知ることを求め続けよう】と神は叫んでいるのではないでしょうか。

 私たちのいのちが枯渇してしまうことを神は憂いておられるのです。

濱野好枝

1月のみことば

  今が主を求める時だ。ついに主は来て、正義の雨をあなたがたの上に降らせる。

ホセア書10:12

 一年一年着実に歩み続け、また新しい年を授けていただきました。聖書は「恵みの冠」との言葉を用いています。正に神が与えてくださいました。

 一月の御言葉は、すぐにもアッシリアに滅ぼされようとしている北イスラエル王国ヤロブアム2世の時代BC700年頃、ホセアが預言した言葉です。

 今までだって、いつも主を求めてました、と言い訳したいイスラエルにホセアがこの言葉を告げたということは、偽りを重ね、石のような頑なな心で偶像の祭壇を増やし続けるという、神への反逆の罪を犯しているイスラエルに悔い改めの機会を促しているのです。

 アッシリアが滅ぼそうとしている様子は若き雌の子牛が麦打ち場でゆっくり踏む程度の仕事をしていたイスラエルに、アッシリアが重い軛をかけると著しています 。

 イスラエルはすっかり忘れているのです。祝福は神(ヤハウェ)からであることを。「すべての良い贈り物、またすべての完全な賜物は上からのものであり、光を造られた父から下って来るのです。」ヤコブの手紙1:17

 祝福の雨を降り注いでいただくには、私たちは心翻して神に立ち返る必要があります。いままでの悪をキッパリ捨て去ること、新しい者に造り変えてもらわなくてはなりません。その上で

 新田を耕す働き乗り出して行きましょう。開拓は大変困難な仕事ですが、神により頼んでいきましょう。自ら困難を通ってきたホセアはその中で神の恵みを体験してきました。神を求めさえすれば、困難苦難は問題ではありません。

 救いと恵みは雨のごとく降り注がれるのです。

 神を求める年としましょう。

濱野好枝

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