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2016年度
12月のみことば

   私は主のはしためです。どうぞあなたのおことばどおり   この身になりますように.
 

ルカ1:38

 聖画に描かれていますように、天使ガブリエルがマリヤが子どもを宿すことを告げる場面『受胎告知』の上記のことばの応答によって、イエスキリストは誕生することとなりました。

 このマリヤの応答がなければ、キリストは誕生しなかったわけであります。

 天使ガブリエルー「おめでとう恵まれた方。主があなたとともにおられます。」

マリヤー     いったい何のあいさつかと考え込んだ。
天使ガブリエルー 「こわがることはないマリヤ。あなたは神からめぐ恵みを
         受けたのです。ご覧なさい、あなたはみごもって男の子を産み
         ます。名をイエスとつけなさい。
         その子はすぐれた者となり、いと高き方の子と呼ばれます。
マリヤー     どうしてそのようなことになりえましょう。私はまだ男の人を知り
         ませんのに。
天使ガブリエルー 聖霊があなたの上に臨み、いと高き方の力があなたをおおい
         ます。それゆえ生まれろ者は、神の子とよばれます。
天使ガブリエルー 神にとって不可能なことは一つもありません。

 降誕劇にもよく用いられる箇所です。
 マリヤの天使のことばに対する応答「私はまだ男の人を知りませんのに」の言葉ではっきりしています。
 夫婦関係によるのではない。創世記1:1の神の霊と同じ聖霊、超自然の神の力によって、イエス・キリストはマリヤの胎に宿り、誕生したことがはっきり顕わされています。
 『処女降誕』がしっかり、くっきりと示されているのです。
 それと同時に、神には不可能なことは一つもないとの証印なのです。
 マリヤはこの神に対して、私は奴隷です。どうぞ語られたおことばが私に成就しますようにと、すべてを明け渡しました。
 これはクリスマスの序章なのです。

濱野好枝

11月のみことば

   「わたしは、あなたをあらゆる国の人々の父とした。」
  と書いてあるとおりに、アブラハムは私たちすべての者の父なのです。
  このことは彼が信じた神、すなわち死者を生かし、無いものを有るもの
  のようにお呼びになる方の御前でそうなのです。

ローマ4:16.17

 日本語で一番美しいことばは、「有難う」ということばだそうです。

 有り得ない(難い)ことが、有り得たとの意味を現わしています。

 聖書の中には、そのような出来事ばかりです。

 信仰の高祖と呼ばれているアブラハムは、99歳になって神から「来年のいまごろ今ごろあなたに男の子が与えられる。その子の名前をイサクとつけなさい。」おことばをかけられました。

 妻サラは89歳で、とっくに子を宿すことは不可能でした。神のお語りになったことに、笑ったのも不思議ではありませんでした。しかし、神はアブラハムの嗣業を受け継ぐ者をイサクと名指し、100歳になった時に与えて下さいました。

 「わたしは、わたしの契約を、わたしとあなたとの間に立てる。わたしは、あなたをおびただしくふやそう。」

 約束どおり、アブラハム100歳、サラ90歳の時イサクが与えられました。

 これは有り難いことでした。

 しかし、幸いな時も暫くで、次に神はたった一人の子イサクを、全焼のいけにえとしてささげよ。と命じられました。

 この時のアブラハムの反応は、驚くべき又素晴らしい物でした。

 命令を受けるや、朝早く薪を割って、イサクに負わせ、火と刀を自分の手に取り、一緒に山に向かって行ったのです。

 人身御供は神の一番お嫌いになるもの。なぜ、どうしてとアブラハムは一切考えず、約束だけを信じて、進んでいきました。

 イサクをアブラハム、サラ、サラに子として与えて、有り得ないこと、神の恵みと受け取っていたのではないでしょうか?

 神の一方的な祝福により、子供が与えられ、又その神が、“イサクをわたしにささげよ”とおっしゃられたので、約束してくださった方は真実な方方との強い信頼が、進んで神のおことばに従うことが出来たのではないでしょうか。

 有り得ないことをして下さる神は、約束を決して忘れない、又実現される方です。

 神様をこのように信頼していたアブラハムの姿を思い浮かべ、恵みによって生かされている自らを思い、−神様有難うーとお礼を申し上げます。

濱野好枝

10月のみことば

 信仰に生きたこの人たちは、神に約束されたものを手にしてから死んだのではありません。しかし彼らは約束のものが待っているのを望み見て、心から喜びました。
 この地上がほんとうの故郷ではなく、自分がほんのつかの間、滞在する旅人にすぎないことを自覚していたのです。
 そう認めた時、彼らは心から天にある故郷を慕い求めました。
 もし彼らに、この世のある魅力ある生活に戻る気があったら、いつでも戻れました。
 しかし彼らは、それに目もくれず、神が用意された天の都を一心に見つめていました。それで神は、彼らの神と呼ばれることを誇りとなさったのです。

ヘブル書11:13-16(リビングバイブル)

 私たちの人生観、世界観は、神の存在をはっきり認めることができると、変わるのではないでしょうか?

 2日に教会で、持ち寄り音楽会+文化祭―初めての試みーを致しました。

 地域のコーラスグループが“サウンド・オブ・ミュージック”の中の曲を披露してくださいました。

 オーストリアのトラップ家に母親がわりに使わされた修道女マリアが、自らの信仰を通し一家を喜びに満たしていく実話で、知らない人はいないと思います。

 神を信じている人を通し、聖書を通し神の存在を知らしめる良い例だと思います。

 18歳の時この映画を見て、キリストを受け入れたばかりの私は、大きく変えられました。

 キリストの十字架と復活により、私の罪は赦され、神の子どもとしていただき、永遠のいのちが与えられました。

 又、上記に掲げましたみことばのように、天の故郷を求める生活に歩んでおります。

 この地上は、見える世界であり、やがてはなくなってしまいます。

 「目に見える望みは望みではありません。・・・」

 イエス・キリストは十字架にかかる前に、弟子たちにこのようにお話しになりました。

 「あなた方のために、わたしは場所を備えに行くのです。わたしが行って、あなたがたに場所を備えたら、また来て、あなたがたをわたしのもとに迎えます。」

 神の国、神ご自身が直接支配される国、子羊であるキリストが都の光である国、古びない全く新しい国が備えられているのです。

 消えていくもの、なくならないものに目を留めることなく、神の備えてくださる所を、共に目指していきましょう。

濱野好枝

9月のみことば

 主を恐れることは、知識のはじめである。
 愚か者は知恵と訓戒をさげすむ。
 わが子よ、私のおしえを忘れるな。
 私の命令に心を留めよ。
 そうすれば、あなたに長い日といのちの年と日平安が増し加えられる。

箴言

あなたの若い日に、あなたの創造者を覚えよ。  伝道者の書

 上記のみことばは、イスラエル、イスラエル王国3代目ソロモン王のことばです。

 神様がある時、“あなたの願いをなんなりと言ってみよ。私は叶えてあげよう。”と言われた時のソロモンの答えは「イスラエルの国を正しく導く知恵をください。」でした。

 そして、神が下さった知恵が聖書の箴言、伝道者の書に書かれています。

 総称して、{知恵のことば}とよんでいます。

 ソロモンも年を重ねて老人になりましたが、若い日に創造主に目を向けることが、私たちの人生を幸せに導く秘訣であると告げています。

 知恵の実は国家、人間社会の平和、安全、繁栄となってあらわれ現れます。

 創造主に背を向けて歩む、不確かは、、恐れ、自己嫌悪、高ぶり、数えきれない嘘など苦しい日々であったことを、私も思い出します。

 だんだん老年になってきますが、創造者を覚えて歩む日々の素晴らしさを日ごと味わう幸いを覚えます。

 若い今です。祝福を祈ります。

濱野好枝

8月のみことば

 神はイエス・キリストによって平和を宣べ伝え、イスラエルの子孫にみことばをお送りになりました。
 このイエス・キリストはすべての人の主です。

使徒10:36

 久保田早紀さんの曲で「異邦人」があります。

 歌い出しは、子どもたちが空に向かい、両手ひろげ〜。とたいへんヒットしました。

 この“異邦人”との言葉の意味を知らない人は多いと思います。

 イスラエル人(ユダヤ人)以外の人のことです。日本人も異邦人ということになります。

 今から2000年前、イスラエルでイエスキリストの降誕、十字架の救い、復活をとうし、弟子たちの活躍が始まります。

 イエスキリストの弟子、および信じた人々は、救いはユダヤ人だけにしか与えられないものと、固く信じておりました。

 しかし、平和の神は、、イスラエルを統治していたローマから派遣されていたコルネリオに語りかけ、弟子ペテロには幻を見せて、異邦人も救われる事を顕してくださいました。

 コルネリオは自分を含め、家族をあげて神を恐れ、多くの施しをし、祈りをしていたのです。その祈りのときに、神が語りかけました。

 「ペテロを迎え、話を聞くように。」一方、ペテロには午後のうとうとしていたとき、ハンモックのような中に、ユダヤ教の汚れた動物と聖い動物を入れて吊りおろされ、「屠って食べなさい。」と語られました。

 「汚れた動物は、禁じられていますので食べられません。」

 「“神のきよめたものをきよくないと言ってはならない。”」とのやりとりが二つの場所で同時に働きかけがなされ、いままでの固定観念を完全に打ち破られたのです。

 上記のみことばは、この時ペテロが感嘆の声をあげたことばなのです。

 神は、平和の神であり、偏頗なく、公平、平等、すべての人に祝福をくださることが良くわかりました。

濱野好枝

7月のみことば

 あなたは知らないのか、聞いていないのか。
 主は永遠の神、地の果てまで創造された方。
 疲れることなく、たゆむことなく、その英知は測り知れない。

イザヤ40:28

 神に捉えられる以前のヤコブ(アブラハムの孫)、神の約束と選びによってイスラエルと名を変えられた神の民がつぶやいたその応えが上記のことばです。

 無数の星一つ一つを数えられる方、羊の群れの一頭一頭の名前を呼ばれる全知全能の神に対して、“私の道はかくれ、神から遠く見放されている、自分の正しい訴えは見過ごしにされている、と文句を言っている人間(神の民)。

 自分の心の頑なさ、自分は義人だと思い上がっているその心が神を見えなくしている事に気づきもしない愚かな様子ですね。

 これらの状況は、私たちの生活に疲れをもたらし、弱り切ってしまいます。限界ですね。

 若者は疲れ果てる、つまずき倒れるが、全知全能の神は疲れることはない、たゆまない英知は計り知れないのです。

 わずか数節の間に「疲れる」のことばを使いながら、私は疲れている者に活力を与えます。又さらに約束を変えないこの神に期待する者には、新しい力(復活のちから)を与え、鷲が翼をかって昇るように、息切れすることなく、弱り果てることなく歩み続けられると補償されます。

 この方に期待し、力を与えられて、高く上って行きましょう。

濱野好枝

6月のみことば

 私は、福音の為に、苦しみを受け、犯罪者のようにつながれています。
  しかし、神のことば、はつながれてはいません。

Uテモテ2:9

 イエス・キリストの復活を目撃し、神の国の話を聞いた人たちは、神の約束である聖霊を受けて、俄然力を与えられました。

 イスラエルばかりでなく、全世界に出て行き、キリスト・イエスを伝えました。

 その結果、全世界にキリストの教えが広がりました。

 その中に、パウロという人がいます。

 当時ローマ帝国が勢力を拡大していましたが、そのローマの市民権をもった生粋のユダヤ人、厳格なユダヤ教徒で、最高学府を出た人でした。

 皆からたいへん恐れられていました。しかし神様がダマスコ(現在のシリア)途上でキリストからの直接声をかけました。

 『サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか。とげのついた棒をけるのは、あなたにとって痛いことだ。』『わたしは、あなたが迫害しているイエスである。』

 この時よりイエスを受け入れクリスチャンパウロとなりました。

 このような人ですので、、当時の教会は、受け入れ難いというのは、想像できます。

 そのパウロとキリスト教会を取り持ったのが、バルナバという人でした。

 バルナバはあだ名で、本名はヨセフです。キプロス島生まれのレビ人(祭司)です。

 聖書の中で一貫してあだ名バルナバと著わされているのをみますと、意味する(慰めの子)そのものであったと思われます。

 人と人との間をつなぎ、結び合わせる素晴らしい資質が与えられ、十二分に発揮し、おおきな働きを遂げていきました。

 若いテモテとともにとともに「神のことばは繋がれてはいません。」と証ししながら、各教会を励まし、慰め、繋ぐ役割を果たしていきました。

 キリストを証しした者は繋がれる、迫害されることはあっても、神のことばは絶対につながれることはありません。

 今も生き働き続けています。

濱野好枝

5月のみことば

わたしは、あなたがたを捨てて孤児にはしません。

ヨハネ14:18

 5月15日は、キリスト教会では5旬節といい、聖霊が注がれ、教会が誕生したペンテコステと呼ぶ、キリスト教の3大祝祭日です。  十字架で全人類の救いを成し遂げたキリスト様が葬られ、復活して後40日間弟子たちはじめ、500人以上の人々に復活の身体を見せ、神の国のことを語り、昇天して10日後の出来事でした。

 3年の間寝食を共にし、キリストに従ってきた弟子たちは、キリスト様の行う業に驚きつつ、先生と仰ぎながら歩んでいました。

 しかし、キリスト様は、父なる神様より託された使命に向かって進み、やがて父なる神の元に帰ることをはなさなければなりませんでした。

 動揺している弟子たちに、上記のみことばを話されました。(ヨハネ14章-17章にかけて話された話の一コマです。)

 良く理解できない弟子たちでしたが、キリスト様はかたり続けました。

 キリスト様は目には見えなくなってしまうが、父なる神様がキリスト様に代わる御方として、聖霊様をおくってくださる。この方は一人ぼっちになってしまったと思ってしまう弟子たちを、励まし、キリスト様の語られたことばを思い起こさせ、真理を指示してくださる。

 又、世の終わりまでいつも一緒にいてくださると約束してくださいました。

 この聖霊様は、弟子たちばかりではなく、全世界の人々にキリスト様が伝えられる原動力になっているのです。

 このお方があなたを招いておられます。

濱野好枝

4月のみことば

 人にはできないが、神にはできる。

マルコ10:26(口語訳)

 富める青年が永遠の命を自分のものとして受けるためには、何をしたらよいでしょうか と、イエスに尋ねた。
 その答えは「あなたの持ち物をみな売り払い、貧しい人たちに与えなさい。
 そうすれば天に宝を積むことにまります。そのうえでわたしに従ってきなさい。」でした。

 そして、「裕福な者が神の国にはいることは何と難しいことでしょう。
 金持ちが神の国に入るよりは、ラクダが針の穴を通るほうが、もっとやさしい。」と話されたのです。
 弟子たちはビックリして、「それでは誰が救われることができるだろうか」と互いに言った時のイエス様のことばが、上記のことばでした。

 富める者が神の国に入ることは難しい。この教えに弟子たちは驚いたのです。
 なぜなら、ユダヤ人は、繁栄は神の好意と祝福のしるしであると理解していたからです。
 だが、キリストの教えでは、支点が異なる。神の国をめざすときには、富や生活の繁栄ではなく、まず神の国とその義とを第一にもとめるべきである。
 そしてこの優先順位を崩す最大の危険は、世の富を慕う心である。
 心が世の富を慕えば、当然それを愛し、それに依存し、仕えるようになる。
 その過程で、蒔かれたみことばの種は行く手を阻まれ、実を結ぶことが出来ない。
 人は富こそが命を豊かにし、幸せの目標であるかのように錯覚する。
 救われることは、人には不可能なことである。それは金持ちであろうとなかろうと、またなし得るすべてをもってしても、人間的な事柄を頼みとするなら、不可能である。
 救いはただ神の可能性に、すなわち神の力とめぐみに根拠を置き、それに信頼する者に与えられる神のプレゼントなのです。

 祝福を祈ります。

濱野好枝

3月のみことば

 わたしのことばを聞いて、わたしを遣わした方を信じる者は永遠のいのちを持ち、さばきに会うことがなく、死からいのちに移っているのです。

ヨハネ5:24

キリスト教では三位一体との教理があります。
@父なる神様
A子である人となって地上に降られたイエスキリスト様
B目で見る事のできない聖い聖霊様
このように三つの人格を備えた神ということです。
今月のみことばから、子としてこの世に来られたイエス.キリスト様は父なる神がお遣わしになったことがわかります。

イスラエルの人々が信じていることは、神は審きをなさる方だということです。
しかし、神様は審きを子であるイエス.キリストに委ねたと、おっしゃられておられます。
これらを思いめぐらしますと、神様はイエス.キリストに命を与える権威と審きをする権限をお与えになったということです。
同時に神の名は、イエス.キリストということになります。
イエス.キリストのみ名に力があり、権威があるのです。
私たちは、イエス.キリストを信じる信仰により、大審判の時(主の祈りの中の、―試みにあわせないで、悪よりお救い下さいーの試みが大審判のこと)審かれない、又永遠のいのちが与えられていますので恐れることはないのです。
神の御計画はまことに深く、測りがたいものであることに驚きます。
今年のイースター(復活祭)は3月27日です。
皆様、教会にお出掛けください。イエス.キリストにお会いしましょう。

濱野好枝

2月のみことば

来て、そして、見なさい。

ヨハネ1.46

 人間の成り立ちを考えると、よくこんなに精巧に緻密に造られているなあと思います。
創造主の神のご配慮に驚くばかりです。
ありとあらゆる知恵を使って神に似せて人間を造られました。
 見る、聞く、触れる等五感も備わった素晴らしい創造の作品である私たち!!

今日の聖書箇所は、
バプテスマのヨハネの弟子であったピリポが同郷のナタナエルに、イエス.キリストを言葉で紹介したところです。
「私たちは旧約聖書の中に何度も預言されている救い主にお会いしましたよ。」と。
しかし、ナタナエルは「ナザレーイエス様の出身の町―からそんな人は出るはずがない。」
と答え、ピリポのことばを信じませんでした。
それでピリポは「来て、見て下さい。」と、イエス様に直接お会いするよう連れて行きました。
イエス様は、自分の方に歩いて来るナタナエルを見、「この人こそ、イスラエルの名前にふさわしい人だ。彼は偽りを憎む本当のイスラエル人です。」とおっしゃられたのです。
ナタナエルはビックリポンです。そればかりで泣く、会う前にナタナエルの居場所まで言い当てたのです。
ナタナエルは「あなたは神の子。イスラエルの王キリスト様です。」と告白しました。
”私が言い当てたからスゴイと思っているかもしれませんが、もっと驚くべき十字架による全人類の救いが成就する事を見ることになります“と告げたのです。

 どうぞ、読者の皆さま、来てそして、見て下さい。
驚くべき人生が始まります。

濱野好枝

1月のみことば

   初めにことばがあった。ことばは神とともにあった。
   ことばは神であった。この方は初めに神とともにおられた。
   すべてのものはこの方によって造られた。造られたもので、
   この方によらずにできたものは一つもない。    −−この方にいのちがあった。

ヨハネ1:1-4

 新年おめでとうございます。新しい年、清々しく心躍る思いです。
 今年もどうぞよろしくお願いいたします。

 冒頭のことばは、紀元90年ごろヨハネによって書かれました。

 教会も誕生し、宣教活動も広がっていましたが、改めてイエスとは誰なのか、
本質は?と根本を顕わす必要に迫られたのでしょう。

 聖書の他の箇所ではこのように書かれています。
   神むかし先祖たちに預言者たちを通して、多くの部分に分け、又いろいろな方法で
 語られましたが、この終わりの時には御子によって私たちに語られました。
 御子は神の栄光の輝き、神の本質的な現れです。

 ことばはギリシャ語で、ロゴスといいます。
 ロゴスは神の啓示者イエスに適用されるのです。
 初めにことばがあったというのは、全ての物の前に考えるお方がおられるということです。

 イエスは最初から存在しておられた方
 イエスはすべてのものを造られた方
 また、いのちそのもの
 いのちの源は、神にあります。

 神はよく複数で表されます。「われわれに似るように人を造ろう」「神は人の鼻にいのちの息を吹きこまれた。そこで、人は、生きものとなった。」

 神であるイエスキリストは言われます。
 「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ。だれひとり父のみもとに来ることはありません。」

 今年はこのイエスキリストを心と生活の中にお迎えして、希望に満ちた日々を送りましょう。


濱野好枝

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