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2017年度
12月のみことば

神にとって、不可能なことはな何もありません。

ルカ1:37

 イスラエルで、婚約は日本でいうと、役所に提出する婚姻届に匹敵します。

 男女が、2人以上の証人立ち合いの上で、神の前に夫婦の契りを結び婚約成立。同時に彼らは立派な夫婦となります。

 一つ屋根の下で寝起きをする夫婦生活は、その後1年ほどしてから始められます。この時、ヨセフはすでに「夫ヨセフ」と呼ばれていました。

 このような背景の中、世界で初めのクリスマスとなります。

 御使いガブリエルが神から遣わされて、ナザレの町の一人の処女マリアの所に来、『あなたはみごもって男の子を産みます。』『その子をイエスとつけなさい』と告げました。

 マリアは御使いに「どうしてそのようなことが起こるのでしょう。私は男の人を知りませんのに。(夫婦関係に入っていません)」御使いは『聖霊があなたの上に臨み、いと高き方のみ力があなたを覆います。

 それゆえ生まれる子は、聖なる者、神の子と呼ばれます。』と告げました。

 神の力がマリアを覆い、妻の上に覆いかぶさる夫の役割をはたし、純潔、聖潔である処女処女マリアをとうし、処女降誕を成し遂げるのです。

 『この力ある神に、不可能のことは何もありません。』とガブリエルは告げました。

 クリスマスはこの受胎告知からはじまるのです。

 この御子イエス・キリストを遣わされた神は、イエスキリストによって、すべての人を救おうと計画してくだっさたのです。

 私を、私たち愛し、気にかけて下さるお方がおられることを覚える時とさせていただきましょう。

濱野好枝

11月のみことば

 わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通して通してでなければだれも父のみもとに行くことはできません。

ヨハネ14:6

 上記のイエス・キリストの応答は、弟子トマスの次の質問に対しての応えでした。

 『主よ、どこえ行かれるのか、私たちには分かりません。どうしたらその道を知ることができましょう。』

 ここで思い出したのは、青梅教会に“信愛荘”への道を尋ねられた時の事でした。

 “信愛荘”は、日本基督教団の引退牧師のホームで、青梅教会南、山手にあるのですが、よく関係者、信徒が電話をし、又車で青梅教会に道を聞かれるのでした。

 その折りには、私が一緒に3分程の距離を道案内させていただきます。

 ―ああ、“信愛荘”への道は私M野になっているーことに気づくのです。

 イエス・キリスト様が処を準備しに行くところは、私たちが目標としている神の国であり、またそこへの道は、イエス・キリストであることを明らかにされました。

 そして私たち、また心を騒がしている弟子たちに、『心を騒がすな。神を信じ、またわたしを信じなさい。』と励ましてくださいました。 私たちは羊のようにさまよって、自分勝手な道に進み、暗闇に迷い込んだり、行き詰まったりします。自分がどこから来て、何処へ行くのかはっきりしていないのが悩むところです。

 次の子ども賛美歌には、解答が表わされているのではないでしょうか。
1.神さまのみ国には しんぱいが何もなく よろこびがあふれてるさあゆこう
2.イエスさまは神さまのみ国へと 行く道だ イエスさまを信じればみなゆける
3.ぼくたちも神さまのみ国へと さあ行こう イエスさまにしたがってさあゆこう
4.神さまのみ国でも 君たちとあえるかな 今のうちイエス様を信じよう

濱野好枝

10月のみことば

人がその友のために命を棄つる。之より大いなる愛はなし。

ヨハネ15:13

イエス・キリストは、あなたがたを愛してるという意味で『友』と呼んで下さいます。

 旧約聖書で、ホシャイはダビデ『王の友』であると言われました。

 ザブデはソロモン『王の友』であると言われております。

 このような『王の友』『皇帝の友』というのが、古代オリエントの国々にもローマ帝国にも、宮殿にもおりました。

 王の友は、朝起きたらすぐにでも、ずかずかと王様の部屋にはいることを許された特権階級でした。どんな大臣や家来が王様と語るよりも先に王とかたるけんりをもった者が王の友であり、そういう家族以上の権利を許された者が王の友と呼ばれます。そして旧約聖書は『神の友』ということばを、ただひとりアブラハムに使っています。

 弟子たちが、今イエスの友であると呼ばれたのは、そのような意味があり、“人がその友のためにいのち捨てるという、これよりも大きな愛はだれも持っていません。“と言ってくださる大きな神の愛に包まれている。

 特別に選ばれた人―それが実は「あなたがた」である。―神のみこころにより、全世界のすべての人の為に十字架に架かることを話され、、イエス・キリストが死んでしまう、いなくなられる事を思い不安、動揺している者たちに対する優しい配慮が現わされています。

 このみことばで、多くの者が励まされ、このキリストに倣い愛を現わしていきました。

 ポーランド人聖マキシミリアノ・マリアコルべ神父はアウシュビッツ強制収容所で一人の男性の身代わりになって毒殺されました。そのときのコルベ神父はまるで死ぬことを喜んで望むような穏やかな表情であったと、当時の担当者が証言しています。

 助かったその男性は収容所で生き延び、終戦後コルベ神父の証しをするキリスト者とし、世界中を回りました。

 キリストに倣って歩んだ人の数を挙げれば限りがありません。

濱野好枝

9月のみことば

あなたのみことばは、私の足のともしび、
私の道の光です。

詩篇119:105

神様がどのようなお方か?知ることはとても重要なことで、人として知らなければならないと考えます。

古から人類すべて探り求めて来たと言っても、過言でないでしょう。

そこで、今月は神の霊感によって書かれた聖書から、ほんの少し調べてみたいと思います。

 主は正しい者の道を知っておられる。

 天の御座に着いている方。

 あなたは私の回りを囲む盾。

 あなたは私苦しみのときにゆとりを与えて下さいました。

 私の王、私の神。

 主は私の切なる願いを聞かれた。

 主は諸国の民をさばかれる。

 人とは、いったい何者なのでしょう。あなたがこれを心に留められるとは。

 主はしいたげられた者のとりで、苦しみのときのとりで。

 悪者は高慢を顔に表して、神を尋ね求めない。

 主は正しく、正義を愛される。直ぐな御顔を仰ぎ見る。

 主は仰せられる。『悩む人が踏みにじられ、貧しい人が嘆くから。』

 主のみことばは混じりけのないことば。

 私はあなたの恵みに拠り頼みました。私の心はあなたの救いを喜びます。

 愚かな者は心の中で「神はいない」と言っている。

 正しく歩み、義を行い、心の中の真実を語る人。

 主は私へのゆずりの地所、また私への杯です。

 私はいつも、私の前に主を置いた。主が私の右におられるので私はゆるぐことがない。

 私をひとみのように見守り、みつばさの陰に私をかくまってください。

 主はわが巌、わがとりで、わが救い主、身をさけるわが岩、わが神、わが盾、わが救いの角、わがやぐら。

ほんの一部しか書くことが出来ませんでした。

お解かりになられたでしょうか?

読んで下さる御一人お一人に、ここに満ち溢れておられる神の祝福が豊かでありますように。

濱野好枝

8月のみことば

あなたがたのうち、だれも神の祝福を失わないように、互いに注意し合いなさい。
あなたがたの間に、憎しみや悪意がはびこらないように十分警戒しなさい。

聖書ヘブル書12:15(リビングバイブル)

 私たちの愚息崇が“Psalm”というコーラス・グループのリーダーをしています。

 先日「クリスチャン・トゥデイ」のデジタル版に−教会の息子と呼ばれて−の題で記事が載りました。

 その中に。小5の時教会のイベントの聖書ビデオ鑑賞会で、自分は飽きて、ふざけて映写機の前に出て影を作ったり、その場にいた多くの友達がゲラゲラ笑ってくれた。

 その後牧師である父親が息子に言った言葉は意外だった。『よくやった。みんなが楽しんでくれて。教会が楽しい場所だと思ってくれれば、それで良いじゃないか。』と。

 このことがとても印象に残っていると語っていました。

 私自身母親として、元気すぎる、やんちゃで驚くようなことをするので、主人の言うような言葉かけは出来ませんでした。

 中3の進路を決めるときは、これまた驚きで、兄と同じ進学校に行くと言って猛烈に勉強して、成績判定会議で了承される段階で、多くの先生方が今までのことを考え渋った中でだだ一人推してくださった。先生のおかげで、受験資格をいただき、兄と同じ高校へいくことが出来ました。

 私は、偏見や、違いを避ける心があります。

 すべての人との平和を追い求めることは、今特に必要とされている課題では無いでしょうか?。神の祝福はそこにあると聖書は告げています。

 神が天地創造の時、その種類にしたがってあらゆる生物を地に生じさせました。

 いろいろな違いをこえ、理解し受容していく心を養っていくことを求められているように思います。

 偏見を持ち、違いを受け入れ難い私のような者を両手を挙げて受け入れてくださいました。

 すべての憎しみ、悪意、差別する心偏った見方、あらゆる悪を一心に背負って十字架に葬り去って下さったイエス・キリストがおられました。

 世界中が、一国主義、言論統制、軍事力強化、真実のないことばでイガミあってる今、神の祝福を受けてほしいと聖書のみことばは語りかけています。

濱野好枝

7月のみことば

信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を
離さないでいなさい。

ヘブル書12−2

 信仰とは、将来に起こることを確かなものとしてつかむ手であり、まだ見ていないものの確実な証拠を見る目であると、他の訳では書いてあります。

 信仰がなければ、神に喜ばれることはできない。神のみもとに来る人はだれでも神が存在する事と、神は求める人に必ず答えて下さることを信じることができる。

 信仰によって、ノアはまだ将来のことである洪水についてみ告げを受けた時、そのみことばを信じ、自分の家族を救うために箱舟を造り、その信仰によって、世の人々に警告を発し、みことばを宣べ伝え、神によって救われた。

 ノアは将来に起こること(洪水)について神が語られたことばをつかみ(信じ)具体的な行動により家族を救い。一方では水をもって罪をほろぼすとの警告を当時の人々に宣べ伝え続けた。

 確かなものとしてつかむ手、確実な証拠を見る目、ほんとうにわかりやすい言い表し方ですし、的を得ています。

 自らの過ぎし越し方を思いますと、これだとつかむことが出来ず、中ぶらりんで夢遊病者のように過ごしてきました。

 しかし、18歳の冬、中ぶらりんの原因と共に、解決を与えられました。

 イエス・キリストが私の罪の身代りになって死なれたこと、神の驚くべき力、復活の力によって、生かして下さること。これを確かなものとしてつかむ手を伸ばしました。

 私は変えられました。信仰によってです。

 私のうちにはじめられたイエス・キリストの救いは、イエス・キリストによって完成されるまで、イエス・キリストから、目を逸らさず、背かず仰ぎ見続けて行きます。

 確実な証拠をみる目をもって、神の国に入るまで続きます。

濱野好枝

6月のみことば

エルサレムを離れないで、わたしから聞いた父の約束を待ちなさい。
ヨハネは水でバプテスマを授けたが、もう間もなくあなたがたは聖霊のバプテスマをうけるからです。
 

使徒1:5,6

 イエス・キリストが、昇天していく時、弟子たちに語られた約束のことばです。

 このことばに弟子たちは的はずれな返答をしました。「主よ、今こそイスラエルのために国を再興してくださるのですか。」

 首都エルサレムに留まって、ローマの支配下から独立するのを見届けるようにと。でも思ってしまったのかもしれません。

 エルサレムを離れないということは、今置かれている所から逃げようとしないで、約束して下さる神の真実さに信頼して待ち望みなさい。とのこでしょう。そうするならば、神様は弟子たちに果たさせようとする業を成し遂げる力、すなわち聖霊を与えて下さる。そして、全世界に今まで見聞きしてきたイエス・キリストの素晴しさを伝える働きに遣わすことができる。

 これが神のみこころでした。

 この記事は、私たちの常識、知識、思いを超えたところに神のみこころはあることが解ります。

 “浅はかですね”と、嗜められた思いです。

 上記の約束を受けて10日間(間もなく)弟子たちは、待ち望む祈りに入っていきました。

 約束通り、イエス・キリストが復活されてから50日目、聖霊が臨みました。

 これがペンテコステ,教会の始まりでした。

 聖書をよく見ますと、ヨハネによる福音書は14章から17章にわたって、この約束の聖霊のことが書かれています。神様はその時が来る前に親切、丁寧に聖霊なる神のことを語られておられます。

 鈍感で、理解出来ない私に対しての繰り返し繰り返しのメッセージを心に留める者にしていただきたい。

濱野好枝

5月のみことば

ただキリストの福音にふさわしく生活しなさい。

ピリピ1:27

 キリストの福音とは、罪人である人間が、キリストの十字架による罪の身代わりの死による赦し及び葬られ、死より甦られたこと。信じ受け入れた者に約束された神の国の民とされたことをいいます。

 その神の国民としての生活を、ひたすらするように。との勧めです。

 上記の聖書箇所のピリピは、現在のギリシャにあったローマの植民都市でした。

 ローマ帝国の広がりを示す「モデル都市」であります。そこの住民はローマの市民権を持っていました。

 そしてローマ法がしかれており、実践もされていました。ローマの習慣も受け入れていました。

 ピリピ人たちは、自分達がローマ人であることを誇りにしていました。

 パウロはユダヤ人でしたが、ローマの市民権も持っていた超エリートでしたが、キリストの名の故に投獄され、ピリピの刑務所に入れられたこともあり、その時の役人は、『このユダヤ人たちはローマ人である私たちが採用も実行もしていない風習を宣伝しております』と長官の前に訴え出されました。そして投獄されたのです。

 風習ではない。キリストは正しく死んで、甦られ、信ずる者に生ける神の力を示されました。

 ギリシャ人の占いの霊に憑かれた若い女奴隷を、悪霊から解放しました。又パウロの収監されていた刑務所に地震を起し、獄屋の扉を開き責任を追及されようとしている看守をキリストを信じるものと変え、家族がその日の内に信じバプテスマを受けたのです。

 ピリピの集会に集っていたテアテラ市―現在のトルコ―の紫布の女商人ルデヤの心を開いて信じる者に変えられたのです。

 私たちを取り巻く環境がいかなるものであっても(ピリピの町がローマの風習が行なわれていました。)
神の民とされたこと。キリストの福音を届けられた者としての歩みをひたすら続けていきましょう。

濱野好枝

4月のみことば

しかし、今やキリストは、眠った者の初穂として死者の中からよみがえられました。

Tコリント15:20

イースターおめでとうございます。

今年はイースターは春分の日のあとの最初の満月の日で4月16日です。

毎年日が違います。

2000年前のクリスマスにこの地上に降られたイエス・キリスト様は33年の地上の生涯を十字架で、全人類の罪の処罰を負い、閉じられました。そして、死に、葬られ、死者の中から復活されました。

すべての人は、生まれれば死ぬものと知っています。

しかし、この原理は誰が決めた事でしょうか?

そのことを考えると、何で死ぬのだろう?自分はそのように信じこまされていることに気がつきます。

このような想いは思春期に起ってくる問題で、大人になってそんなことは考えないで過ごして来てしまっているので、敢えて考えないことに決め込んでいるのが現状ではないでしょうか。

イースターを機に考えてみましょう。

その答えは聖書にあります。

人は神が造られ、死なない存在として、全での被造物を支配するようにされました。

しかし、最初の人が神のたった一つのルールを破り、その罪の結果払う代価が死であったのです。神のこころは死=滅びから解放する道として、神のひとり子を遣わし、当時最も極刑でありました十字架に付けて殺し、死の=地獄の苦しみを味合わせました。

しかし、死からの解決は復活を通してでなければ出来ず、神がイエス・キリストを死者の中から復活により全人類に永遠のいのちを与えるという御業を成し遂げたのです。

このキリストを受け入れる人は、死んでもよみがえることが出来る。

神と永遠に生きる事の保証として、イエス・キリストは死者の中から、初穂としてよみがえられました。

キリストが再びこの地にこられる時、先に死んだ人は甦り、生きて残っている信者はそのまま栄光の姿に変えられ、一直線に神の国に突入です。

このことは夢物語ではありません。真理である神の宣言です。

死は、聖書はー眠りにつくーといっています。驚くべき事です。

復活の希望に生きる人はこの地上にあって、感謝と喜びにみちた満ちた歩みが出来ます。

この喜び、イースターを共に祝いましょう。

濱野好枝

3月のみことば

 キリスト・イエスにおいて上に召してくださる神の栄冠を得るために、目標を目ざして一心に走っているのです。

ピリピ3:14

日本にイエス・キリスト、神のことばが届けられたのは、上記のことばを語ったパウロがいたからと言っても過言ではありません。

イエス・キリストがこの地上にこられ、全人類の罪の赦し、死の力から解放するため十字架にかかり、死んで甦り、天に帰られ、約束の聖霊が注がれ、全世界に喜びの使信が伝えられました。

しかし、当時弟子たちは、イスラエルだけで、それ以外の国の人に目が向けられませんでした。

神様はすべての人々に届けられるように、驚くような方法をとられました。

イエス・キリストを信じた人を恵みと力に溢れさせ、ユダヤ教徒に妬みを起こさせ、迫害するようにしました。

キリストを信じたステパノのメッセージに怒り狂い、石打ちで殺してしまいましたし、ユダヤの王ヘロデもヨハネ(新約聖書ヨハネ福音書を書いた)の兄弟ヤコブを殺しました。

ユダヤ教徒の歓心をかうためでした。迫害の嵐が吹き荒れ、クリスチャンたちは逃げ惑う状況の中にサウロ(回心しパウロとなる)がおりました。

ユダヤ教徒の人々はクリスチャンを殺し、キリスト教を終わらせることは、神への奉仕と固く信じていました。パウロも同じ考えで、迫害者となっていたのです。

生粋のユダヤ人、イスラエル民族に属し、ベニヤミンの分かれの者、8日の割礼を受け、律法についてはパリサイ人、、と血統についても、経歴についても申し分のないサウロがクリスチャンの迫害の途上「サウロ、サウロなぜわたしを迫害するのですか?」 「主よ、あなたはどなたですか?」「わたしは、あなたが迫害しているイエスです。」 この天からの声を聞き、180度転回しクリスチャンになったのです。

神様は、今までのパウロの歩みをよく御存じで、ユダヤ社会に受け入れがたいと思い、異邦人へお遣わしになりました。

地中海世界のパウロの伝道から、東の果てにまで届けられました。

キリスト・イエスにおいて上に召してくださる栄冠を得る目標だけで、イエス・キリストを紹介し続けました。

ました。パウロを用いられた偉大なお方の存在を思わずにはおられません。

濱野好枝

2月のみことば

すべての人は草、その栄光はみな野の花のようだ。主のいぶきがその上に吹くと、草は枯れ、花はしぼむ。まことに、民は草だ。草は枯れ、花はしぼむ。だが私たちの神のことばは永遠に立つ。

イザヤ40:6-8

”年が改まりまして、おめでとうございます” 新年の挨拶をこのことばでする方がおれれると聞きました。誰に対しても同じ挨拶だそうです

60年前、私が子供の頃も、まさにお正月は改まったという想いがします。大晦日の夜の枕元には、新しい下着と晴れ着が揃えてあり、元旦には、皆でおせちをいただき、父は屠蘇をのみました。「おめでとうとございます。」と挨拶を交わしました。

3が日か判りませんが、唐草模様のマントに身を包み、獅子舞も各家庭を廻り、華やいだ雰囲気だったことを思い出します。都道沿いにあった我が家でしたが、車も通らず静かな正月でした。

時代が進み、文化、古くからの習慣など忘れられ、どのようでも構わない風潮になってきました。

上記のみことばは、変わっていくもの、むしろ無くなってしまうものがある、しかし、変わらないものがあると示しています。

『光よ、あれ』と言い、ことばによって光を創造し、万物を創られた神は自らが創った草も花も、色あせ、枯れ墜ちると言われます。また新約聖書でイエスキリストは、ソロモンの栄華はこの花、草、野の百合にも及ばない。今日あっても明日炉に投げ込まれる野の花は、色美しく、香りよく神が装っておられる。その花も、草も造り主のご命令で無くなってしまうのです。

しかし、神の語られたことばは、永遠に立と続ける。墜ちない、倒れない、変化しないと語られます。どんなことがあっても、ゆるがないものがあると、神のことばにしっかり信頼して行く幸せを味わっていきましょう。

祝福をお祈りします。

濱野好枝

1月のみことば

*あなたの威光は、真理と柔和と義のために、勝利のうちに乗り進め。あなたの右の手は、恐ろしいことをあなたに教えよ。

詩篇45:4

*私たちは喜び楽しみ、神をほめたたえよう。小羊の婚姻の時が来て、花嫁はその用意ができたのだから。

ヨハネ黙示録19:7

*あなたの御座は世々限りなく・・・

ヘブル1:8

 この詩篇の作者の心は、喜びであふれ、素晴らしい言葉で沸き立っています。
 結婚の祝歌であり、王のために作られました。
 雄々しい方(「神のことば」と呼ばれ、血に染まった衣を着ていた)は、天の軍勢を率いて戦いへと乗りすすむ。
 彼のそんげんは、その十字架にあり、
 彼の威光は、その柔和さにあり、
 彼の勝利は、その真理に対する忠誠にある。
 彼の光の先には、愛がつけられており、
 その矢に倒れる者は、生きるために死ぬのです。

 まさに王、彼は、キリストを指しています。
 喜びの油とは聖霊が注がれることです。

 クリスマスにお生まれになり、極刑である十字架にかけられ、死なれ、復活を通し、全人類を罪の呪い、死の力を打ち破ってくださいました。
 花婿キリストが、花嫁である私たち(教会)を愛された結果です。

 今年はその結婚式が近づいでいることを喜び、楽しみつつ、その時を待ち歩みましょう。
 <喜び>は勝ち進む原動力です。
 祝福をお祈りいたします。

濱野好枝

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