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2019年度
12月のみことば

 主は私の羊飼い。
私は乏しいことがありません。

詩篇23:1

 主は私の羊飼いという神とイスラエルの関係の告白は、イスラエルの歴史の古くから見られました。

 神は羊飼いとしてその民イスラエルを優しく守り、力強く導かれる。神はダビデに『あなたがわたしの民イスラエルを牧し、あなたがイスラエルの君主となる』(2サムエル5:2)
3400年前イスラエルの民の荒野の40年の生活の中もイスラエルを導かれたのは唯一の神であった。

 イスラエルの民が他国と同じように王が欲しいと訴え、神は王をたてることを許されました。初代サウル王、2代ダビデ王、第3代ソロモン王と立ちました。この詩編の作者ダビデは息子から反逆を受ける。サウル王から妬まれ続け殺されそうになった時もその生涯を生ける神を信頼し委ね続けました。

 その歌は神を称え、歓び踊っています。

 12月イエス・キリストの御降誕を歓び迎える季節を迎えています。

 受胎告知を受けたマリアの喜びの声に、いとこのエリザベツの胎のバプテスマのヨハネが喜び踊ったと書かれています。

 マリアのよろこびの歌が続きます。

 ”わがたましいは主をあがめ、わが霊はわが救い主なる神を喜びたたえます。主はこの卑しいはしために目を留めてくだったからです。

 主のおうまれになる夜、野原にいた羊飼いに現れた天使の群は「この民全体のためのすばらしい喜びを知らせに来たのです。
 救い主の誕生は一国を統治したダビデの口を通して「主は私の羊飼い」と言わしめたのです。

 私たちもこのイエス・キリストを真の人生の導き手として養っていただきましょう。あなたは誰が導き手となっておられますか?

濱野好枝

11月のみことば

 マグダラのマリアは行って、弟子たちに「私は主を見ました。」と言い、主が自分にこれらのことを話されたと伝えた。

ヨハネ20:18

 先日来年の手帳を買うため出掛けました。行くお店悉く月曜日スタートの手帳ばかりで、日曜日始まりはごく僅か、デザインはいまいちでした。

 西暦はAD(ラテン語アンノ・ドミニ)で『主の年に』との意味です。又キリストの復活を記念し、日曜日を『主の日』としています。

 キリストが十字架に付けられ、全人類の罪の罰を受け地獄に降り、三日目に甦られた日の出来事が、上記のみことばの記事です。

 キリストの弟子11人は、師であるキリストが十字架に付けられてしまうと、我先に逃げ出し、元の仕事に返ってしまいました。

 しかし、マグダラのマリアは週の始めの日、キリストの遺体に香料を塗ろうと墓に来ました。道々墓の入口の大きな石をどうしたら動かせるだろうかと心配しながら来たのです。

 しかし、その石は取りのけられて中は空っぽでした。

 最初はさっと見たのです。しかしキリストにお会いしたい一心で、その場から離れず佇んで泣いていました。

 泣きながら墓の中を覗くと、キリストが置かれていたと思われる頭と足の所に二人のみ使いが座っているのを見ました。確認しました。み使いとは気がつかず「誰かが主を取っていったのならおしえてください。」と尋ねたその時、マリアの後ろにおられた復活のキリストが「マリア」と声を掛けました。

 振り返ってマリアはハッキリと主を見たのです。

 マリアの行動は何としても主にお会いしたいという思いからでした。しかし、一度見て立ち去らず、尚その場に止まり続け、主の声、姿を確認して弟子たちに「私は主にお会いした。」とつたえました。

 天地創造の神は、7日目に休まれたとあります。6日間の忙しい時間を止めて、休止して安息し、心と身体に新しい息ーいのちを吹き込んでいただきませんか?

濱野好枝

10月のみことば

 私たちは四方八方から苦しめられますが、窮することはありません。
 途方に暮れますが、行き詰まることはありません。

Uコリント4:8

 人生の歩みで、人生経験の長い大人であれ短い子どもであれ、色々な困難にぶつかります。

 八方ふさがりと云うように、全部口が塞がれていて抜け出すことが出来ない状況になる事も有ります。

 そんな時、ホトホトどうしたものか途方に暮れてしまいます。

 行き詰まってしまいます。息もできない程と云うことにもなるかもしれません。

 聖書の次の箇所では、もっと厳しいことばが続いています。

 『迫害されますが、見捨てられることはありません。倒されますが、滅びません。』

 堪えられない状況ですが、ここにイエス・キリストの十字架による死を明らかにされます。神のひとり子イエス・キリストが私たち、私の罪(その結果は滅び、呪われた者になる)の為に死んでくださった。この事を思いなさい。何時もこのイエスの死を持ち運んでいるのだよ。しかしキリストがよみがえったように、命(解決、解放、開放、糸口が見つかる)に与ることができるのです。

 主イエスを甦らせた活ける全能の神がイエスと共に、信じた私たちを甦らせてくださり、最期に神のみ前に怖れることなく、胸を張って立つようにしてくださいます。

 地上を這い廻る鶏のようではなく、大空を舞う鷲のように私たちの心を上へ上へと導かれる神(みことば)はなんと素晴らしいことでしょう。私たちをがんじがらめにしている元である罪から解放され、活ける神と共に歩んで行きましょう。

濱野好枝

9月のみことば

 医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人です。
 わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためです。

マタイ9:12−13

 聖書の中に多くの癒しの記事があります。

 癒すとは直す、生きるという意味を含んでいます。

 神御自身が出エジプト記15:26で「わたしは主。あなたを癒す者だからである。」と宣言しておられます。

 旧約聖書の中にアビメレク一家の不妊をいやし、ヒゼキヤ王の病がいやされた具体例が書かれています。

 それゆえに「いやしてください。」と祈ることができ、その祈りに神は答えてくださいます。

 またみことばを送っていやし、心の打ち砕かれたものを立たせ、「主に立ち返る者」をいやされた。

 肉体の病だけでなく「背信」「町の傷」もいやすと言われます。

 新約聖書では、病気の人に仕えるという意味から「いやす」という意味が生じました。主語、目的語は「人」なる場合がほとんどですが、病人だけでなく、悪霊につかれていた人、目のみえない人、足の利かない人がいやされました。

 最初にあげた「直す」は長血を患った女の人が「直った」と使われ、百人隊長のしもべがいやされた時、カナン人の女の娘がいやされた時、つまりイスラエル人以外の異邦人と呼ばれている人々に この「直す」がつかわれています。

 「救う」という意味もあります。

 キリストに対する信仰が治しました。

 イエスキリストの癒しの方法は権威あることばによって、熱をしかる、手を取る、手を取って起こす、油を塗る、両耳に指を入れる、唾で泥を作り目に塗る、舌に触るなどさまざまでありました。これらはイエスキリストが神のメシヤであることの証明でした。

 一番の重要のいやしは、罪を赦すという誰にも出来ない、メシヤであるキリストだけのなせる業、御業です。

 罪人という病人を招いて救いを与える御業、これです。

 罪もわからず、自ら正しいとして、キリストメシアの存在を認めようとしない人々に、自分の病を気づかせようと、3年の公生涯を力の限り、神のみ心を行い続けたキリストの歩みを聖書の中から見つけ出していただきたいと思います。

濱野好枝

8月のみことば

あなたがたは地の塩です。
あなたがたは世の光です。

マタイ5:13-14

 「人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばで生きる。」とサタンとの3番勝負を突破し、弟子たちを召集し、具体的な宣教活動に入りました。

 人々のあらゆる病、わずらい、悪霊に憑かれた人びとを癒されました。そのような情況ですから、ガリラヤ地方のみならず、周りの地方からイエスに従って来ました。

 山上での説教を聞いた人々の数は驚くものでした。五千人の給食では一万人以上の人でしたから、群衆はこの数に匹敵するものでした。

 ここでイエスは、天の御国の一員とされ、神に従う決心をした者の、この世における存在価値について、塩と光という二つのたとえを用いて説明している。

 キリストを信じる者は、この世において塩である。塩は味をつけ、腐敗を防ぐ役割を果す。同様にキリスト者は、この世の中にあって、キリストの福音を浸透させ、この世にピリッと塩味を利かせる責任がある。

 漬物は塩梅と言い、塩加減があまいと黴が生えおいしく食べられません。

 もう一方世の光としての役割です。

 キリストを信じた者の心に光であるお方が、内から光を放ってくださるからです。

 キリストを心に宿した人の生活は、罪汚れから清められ、自然と良い行いをすることが出来、世の光としてこられたキリスト様を示すことができます。

 集まった群集に対して、信頼しておられる神様の優しさを感じます。『地の塩、世の光だよ。』と。

濱野好枝

7月のみことば

 「それは人にはできないことですが、神にはどんなことでも出来るのです。」

マタイ19:26

 「先生 永遠のいのちを得るためには どんな良いことをすればよいのでしょうか。」一人の青年が尋ねました。イエスの答えは「なぜ良いことについて尋ねるのですか。良い方はおひとりです。いのちに入りたいと思うなら戒めを守りなさい。」青年は「どのいましめですか…中略…すべてを守ってきました。」イエスは「完全になりたいなら、財産を売り払って貧しい人たちに与えなさい。」

 青年は悲しみながら立ち去ったのです。

 イエスは弟子に「金持ちが天の御国に入るのは難しいことです。」弟子たちは驚きながら「それではだれが救われることが出来るでしょう。」イエスは「それは人にはできないことですが、神にはどんなことでも出来るのです。」

 律法を守ってきましたという守り方が不完全だったと指摘。本来律法は神がつねにイスラエルに近くおられることを証しする神のみ声でした。それを忘れてこれだけ守れば永遠のいのちが得られるか、神が近づいてくださるかという奴隷的態度で律法を守ってきた青年は、神が近くにいて下さるから律法を守るというのではなく、神から遠く離れて自分ひとりで律法を守る、自力本願の独立心、その罪が律法を苦しい重荷に変えてしまいました。

 富というのは根本的に罪ある自我そのものです。この青年を阻んでキリストに従えないものが、彼の力と才能と地位の結晶である『持ち物』であることをキリストは見抜かれました。イエス・キリストによって永遠のいのちを得るというキリスト信仰の点で人間は皆足りません。「私には律法を守る力はないが、キリストが律法を守ってくださるし、守らせて下さる。この一点を欠くならば、どんな善行も努力も台無し。

 大きな悲しみや困難を覚える事も神の力で解決できない事はない。救いにおいて期待すべきは、ただ神の力だけである。

濱野好枝

6月のみことば

 助け主が来ると、罪について、義について、さばきについて、世の誤りを明らかになさいます。

ヨハネ16:8

 イエス・キリストが全人類の罪の赦しの為の十字架にかかり、死んで葬られ、3日目に甦り、40日間にわたって復活のからだを弟子をはじめ、200人以上の人々顕れました。

 そして天に帰られる時に約束されたことは、助け主を送るということでした。

 「エルサレムを離れないで、わたしから聞いた父の約束を待ちなさい。ヨハネは水でバプテスマを授けましたが、あなたがたは間もなく聖霊によるバプテスマを授けられるからです。」

 キリストが昇天し、10日間エルサレムで祈り待ち望んでいた、イースターより50日目約束の聖霊(助け主)が降りました。その時の出来事は新約聖書使徒の働きに書かれています。

 激しい風が吹いて来たような響きが起こり、座っていた家全体に響き渡った。また炎のような舌が分かれて現れ、一人ひとりの上にとどまった。すると皆が他国のいろいろなことばで話しはじめた。と。この日をペンテコステ(聖霊降臨日)と言います。

 今年は6月9日がその日に当たります。

 イエス・キリスト様は私たちの目から見えなくなりましたが、その代名として聖霊という助け主なる神様が私たちのもとに来てくださいました。

 この神様は私たちの心に罪(神への反逆)、義(真に正しいこと)、審判(神が神への反対勢力を裁くこと)について今までの間違いを正してくださるのです。

 聖霊様はイエス・キリストの死と復活と、やがて来られることをハッキリ示し、私たちを正しい道へと導いてくださいます。力強くその事実を証明する人としてくださいます。

 今もエルサレムから始まったこの出来事は、全世界に広まり、次々と教会が建てられています。神様が生きておられる証拠です。

 原点はペンテコステにあるのです。

濱野好枝

5月のみことば

 聖書はすべて神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練のために有益です。

Uテモテ3:16

 教会に初めて行き聞いたのは、聖書のことばでした。

 ある方は「入門しに来ました。」と言い教会の門をくぐった、と聞きました。

 入門コーステキストの“聖書”の項を見ますと、次のように書かれています。

 −英語のBIBLE(バイブル)はギリシャ語から来たもので、元々は普通の本という意味だったのが聖書だけを意味するようになったのです。グーテンベルグが印刷機を発明したのは15世紀。そして印刷したのがルターの訳したドイツ語の聖書。なんとそれ以来聖書は世界でベストセラーを続けています。
 40人の色々の職業の人々に、1500年もかけて書かれました。それでいて調和と統一、一貫した流れがあるのは驚くばかりです。
 それは背後に時代を超え、場所を越え、階層を越えた一人の本当の著者がおられたという事ではないでしょうか。それはどなたでしょう。言うまでもなく生きて働いておられる神ご自身です。−

 フランスの無神論者ボルテールは「これだけ科学が発達しては、あと100年もすれば聖書なんてこの地上からなくなるであろう。」と予言しました。

 彼の死後、皮肉にも彼の家は聖書協会の倉庫になりました。

 天地は消え去ります。しかしわたしのことばは決して消え去ることがありません。マタイ24:35

 聖書はあなたに知恵を与えて、キリスト・イエスに対する信仰による救いを受けさせることができます。Uテモテ3:15

 神のことばはイエス・キリストによって、私たちの良心に語りかけ、私たちに救いをもたらすばかりか、知恵を与えて賢い者にしてくださいます。

 自然界はじめすべてのものが命に輝いている季節、聖書に親しんでみませんか?

 祝福をお祈り致します。

濱野好枝

4月のみことば

 私たちの父祖の神は、あなたがたが木にかけて殺したイエスをよみがえらせました。
 神は、イスラエルを悔い改めさせ、罪のゆるしを与えるために、このイエスを導き手、また救い主として、ご自分の右に上げられました。

使徒5:30-31

 東京でソメイヨシノの開花宣言が出た途端、花冷えとなってしまいました。しかし、ヒヤシンス、色とりどりの水仙、クリスマスローズ,パンジーも花盛りです。チュウリップもあと少しで開花する素晴らしい季節です。

♪♪冬が去った 冬が去った 黒い土から花の芽が這い出したいよいよ春だ。
ふっかつ日だ ふっかつ日だ キリストさまが墓を出てかえられためでたい朝だ♪♪

 復活祭の子どものさんびです。

 イエス・キリストはイスラエルの指導者たちの手によって殺されました。

 裁判に携わった総督ピラトは「キリストに何の過ちも、咎も見出だせない。」と言って、自ら群衆の前で手を洗い「この人の血については私には責任がない。おまえたちで始末するがよい。」とのことばでその場を立ち去りました。

 すると当時の宗教指導者である祭司長、長老たちにイエスを殺すよう説得された民衆は「その人の血は私たちや、私たちの子どもらの上にふりかかってもよい」と豪語したのです。

 このように十字架にかけられ、殺され、黄泉に降られた方を、生ける万物の創造者である神は、キリストをよみがえらせて、あらゆる権威権力をキリストにお与えになったのです。

 私たち人間は、妬みに燃えて人を殺し、死に追いやることさえするのです。

 私たちは罪人です。神の独り子であるキリスト、神を殺してしまったのです。

 でも神は活かすのです。いのちのお方なので、生かして、生きるようにしてくださるのです。

 私たちは神に敵対し、罪を犯しその報酬は死です。永遠の滅亡です。しかし神は命を与えてくださいます。悔い改めて生かしていただきましょう。

濱野好枝

3月のみことば

 今、私たちは鏡にぼんやり映るものを見ていますが、その時には顔と顔を合わせて見ることになります。
 今、私は一部分しか知りませんが、そのときには、私が完全に知られているのと同じように、私も完全に知ることになります。

1コリント13:12

 このみことばはよく知られている箇所で、結婚式で愛について語られ時引用される最後の部分です。

 イエス・キリストを信じる信仰、復活の希望、私たちを愛して止まない神の愛→信仰 希望 愛。

 希望を持って信仰の道を歩み続けた私たちに最期に向かわせるのは愛=神の愛ということですね!

 イエス・キリストが語られた「ラザロと金持ち」の話はそれをよく物語っています。

 ラザロは金持ちの門前に置かれた貧しい全身おできの病人。金持ちはきらびやかな着物に身を包み、毎日贅沢に遊び暮らしていた人。もちろん、門前にいるラザロに気を留めることなく、食事の残り物さえも差し出す心ももっていませんでした。しかしラザロも金持ちも死にました。

 その後の様子は雲泥の差、つまりどんでん返しの結末だったのです。神は言われます。「子よ、思い出しなさい。おまえは生きている間良いものを受け、ラザロは生きている間悪いものを受けた。しかし今は、彼はここで慰められ、おまえは苦しみもだえている。そればかりか……大きな渕がある。」

 永遠の住まいの為に、今地上で与えられた富を用いていくことを説いています。

 永遠の住まいは、ぼんやりしているように考えます。しかし聖書ははっきり語っています。現在は一部分しか理解していないかもしれませんが、確実に愛に充ち溢れた世界で、神は私たちの為に備えてくださっています。それどころではない。私を完全に知っておられる方は神様の素晴しさの全貌を私に見せてくださる。完全に、100%、顔と顔とを合わせて見ることになると確約しておられます。

 貴方はこの愛と励ましの神様にお会いする希望にワクワクドキドキしつつ歩んでおられるでしょうか?

 祝福をお祈りいたします。

濱野好枝

2月のみことば

わたしが世にいる間は、わたしが世の光です。

ヨハネ9:5

 イエス・キリストが2000年前に地上に来られ、数多くのしるし、不思議、奇跡を行われました。

 @結婚式で水を葡萄酒に変えました。

 Aイスラエル人が礼拝する会堂管理者の息子の病をことば一つで癒されました。

 B38年も病気で寝ている人を立ち上がらせました。

 C五千人の人々に5個のパンと2匹の魚で給食をしました。

 Dガリラヤ湖上を歩きました。

 E生まれながらの目の見えない人を見えるようにしました。

 Fラザロを死から甦らせました。

 僅か3年の間に、遣わされた神の業を心をこめて行いました。

 光であるキリストが来ておられるのに、
光より闇を愛しました。聖書は自分の行いが悪いため、その行いが明るみに出されることを恐れて、光の方に来ない。
と言っています。

 闇が全くない神、イエス・キリストのもとに来て、神との交わりにはいり、希望と喜び、安心な日々を送りましょう。

 聖書の語っていることばは、まさに真理そのものですね。

濱野好枝

1月のみことば

教会はキリストのからだであり、すべてのものをすべてのもので満たす方が満ちておられるところです。

エペソ1:23

 2019年新年おめでとうございます。今年も変わらず、みことばを通して神の祝福をお届けしたいと願っています。

 八王子教会の今年の目標が前記のみことばです。

 キリストの弟子ペテロが、キリストから「私をだれだと言いますか。」と尋ねられた時「あなたは生ける神の子キリストです。」と答えました。

 そしてキリストは「わたしは、このあなたの告白の上にわたしの教会を建てます。よみの門もそれに打ち勝つことはできません。」

 教会磐石の基礎と絶対に揺るがない、傾かない、潰れないキリストの体であると宣言されました。その本質を3つのことで言い表せます。

 * 生ける→十字架の死と復活により現在も生きておられる

 * 神の子→万物の創造者父なる神のひとり子である。

 * キリスト→人類を罪からの救いを成し遂げられた。

 この方が凡てのものを総動員して満たし続けてくださる所、それが教会(エクレシア)です。とうぞお出掛けください。

濱野好枝

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