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第7課  十字架・・・2

※暗唱聖句
 私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のためになだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。
汽茱魯唯粥В隠

 暗唱聖句の前の9節から一度読んでください。前課で学んだ神さまのひとり子が世に遣わされた理由とその意味をよく示しています。

 「なだめの供え物」とは旧約時代から長く使われてきた大切な宗教用語で、その意味は「人間の罪に対する神の正義の怒りを、なだめるための身代わりの犠牲」ということです。前課では十字架の意味を学びました。本課ではそれをもう少し詳しく具体的に見ましょう。

  1. 十字架は神さまの義の現われです。

     (1)すべての人は罪を犯したので死に定められています。

     「人間には一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっている」(ヘブル9:27)

            ・・・2課の暗唱聖句

     「罪から来る報酬は死です。」(ローマ6:23)

            ・・・5課の暗唱聖句

     罪を犯した人間、すなわち、私たちひとりひとりが、その罪のもとに死に定められているのです。

     (2)古代の世界では代表的な4つの死刑の方法がありました。

    • 40以上のむち打ち
    • 石打ち
    • 死体とのだき合わせ
    • 十字架

     この十字架刑はもっとも苦しい死刑の方法です。生木の十字架にばたばたする死刑囚を押しつけ、両手と両足を犬釘で打ちつけ、やがて垂直に建てます。体重が両手と足の3点にかかり、じりじりと裂けていきます。体をゼリーのようにふるわせながら、その痛みと戦います。3日,10日と全身の激痛に気さえおかしくなり、渇いて飢えて死んでいくのです。あまりに残虐なので、ついにローマでは禁止されローマの市民権を持たない外国人や奴隷の極悪犯にだけ執行されました。

     (3)神さまはすべての人が定められている罪の報いとしての死を、代わりにひとり子が受け、それによって罪の赦しを与えるためのさばきの方法として、前述の4つのうちの人間の考えた最も恐ろしい死刑方法、十字架を選び出されました。

     (4)もともと旧約時代には、長い間、罪の身代わりとして小羊や牛などの動物を祭壇に屠って、その血を流し、神さまへのなだめの供え物としてきました。しかし、これはすべて本番としてのひとり子キリストが十字架につけられる「型」であり「影」でした。

     (5)ついに新約時代になって、神さまの子であるイエス・キリストが、神さまの小羊として、十字架にかかり死んでくださったのです。私たちひとりひとりを贖うために、私たちが死ぬべき死を身代わりになって死んでくださったのです。

     ここに神さまの義は完全に全うされたのりです。十字架に完全に神さまの義が現われたのです。

     「ヨハネは自分のほうにイエスが来られるのを見て言った。『見よ。世の罪を取り除く神の小羊。』」(ヨハネ1:29)

     「世」という文字の所に自分の名前を入れて読んでください。

  2. 十字架は神の愛の現われです。

     「私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。」(汽茱魯唯粥В隠亜

     この神さまの愛を知るために、聖書の中から十字架への道筋を1つ1つ調ベてみるのは、意味のあることです。おもにマタイを調べてみましょう。ここには「なだめの供えもの」となられたイエスさまのことが記されています。

    1. むち・・・・・マタイ27:26

       40に1つ足りない39回を背中に、皮膚は榴(ザクロ)のように裂けて。

    2. いばらの冠・・マタイ27:29

       王冠に見立てて、罪による呪いの象徴、いばらの冠をかぶせた。

       とげの長さは,4,5儖未呂△辰燭隼廚錣譴泙后しっかり食い込み、血がしたたったでしょう 。

    3. 葦・・・・・・マタイ27:29

       王の持つしゃくに見立てて。あざけりのしるしとした。

    4. つばきをかけ・マタイ27:30

       侮辱と汚し。

    5. 頭をたたき・・マタイ27:30

       嘲弄。

    6. この後、悲しみの道(ドロローサ)をたどり、ゴルゴダの丘へ約2辧G愧罎暴鼎そ住架(50〜60圈砲鯢蕕ぁ途中2度ほど倒れ、背中の傷に食い込む。

    7. 十字架へ・・・・・前述の苦しみ。実は十字架上で死刑囚は、両手の2点の釘で体を支えると、呼吸が困難になって窒息するので、足で体を支えた。しかし激痛のため、また、手で支える。その繰り返しで、体をゼリーのようにふるわせた。

       しかし、翌日は安息日だったのでユダヤ人たちは、半死半生の死刑囚のからだを十字架の上に何日もそのまま残さないため、すねを折って窒息死させた。(ヨハネ19:31〜37)

       しかし、イエスさまはすでに死んでおられた。信じられないローマの兵隊が確認を込めて、キリストのわき腹を槍で刺した。するとただちに血と水が出てきた。これは心臓が破裂した場合に起こる特殊な現象。キリストは全人類の罪を背負い、その罪に対する神さまの怒りと神のさばきを一身に受けられたとき、あまりの恐怖と苦悶のゆえに心臓破裂を起こされたのです。

     「完了した。」(ヨハネ19:30)という十字架のことばは、神のさばきが終ったという意味です。キリストの犠牲は、単に神さまの怒りを一時的になだめてしずめたいということではありません。全世界のすべての人に下る神の怒りが、全部イエスさまの上にくだったのです。全時代のすべての人に、あなたと私にくだる神のさばきが全部イエスさまの上に爆発したのです。

     ですからこれは、同時に救いは完了した、というキリストの勝利の宣言でもあるのです。

     もう、あなたの上には神さまの怒りもさばきもありません。ただ神さまの赦しと神の愛だけが注がれています。何というすばらしい神さまの恵みでしょう。これが福音です。(良きおとずれ)あなたはそれを信じますか。

     信じなければ、この驚くべき大きな神さまの恵みはあなたのものではありません。来週は、この大切なテーマ「信仰による救い」について学びます。

     7歳になる幸ちゃんはある日学校から帰って、「ただいま」も言わないで部屋に入ってしまった。「どうしたの、幸ちゃん」お母さんのやさしいことばにも、「知らない、お母さんなんか大嫌い!」と言って見向きもしない。やっと、「みんなが『幸ちゃんのお母さんはおばけ』というの」と打ち明けた。お母さんの顔はやけどの傷跡が一面に広がっていた。
     お母さんは静かに語り始めた。「幸ちゃんが2歳のとき、よちよち歩いて沸騰している鍋に手をかけたので、お母さんが幸ちゃんをかばった瞬間、煮えたぎっている熱湯をお母さんがかぶったの。そしてこんな傷が残ってしまったの。」それ以来、幸ちゃんはその傷跡をみるたびに母の愛に感謝し、母の愛を誇りとした。
     同様に、いな、それ以上の愛をもって神さまは私たちを愛してくださった。

     最後に十字架の上から語られたイエスさまのことば、ルカ23:34を開いてください。「彼ら」というところに自分の名前を入れて読んでみてください。

     [イエスはこう言われた。「父よ。彼らをお赦しください。彼らは何をしているのか自分でわからないのです。」彼らはくじを引いてイエスの着物を分けた。]

     暗唱聖句とルカ23:34の2つのみことばをよく味わってみてください。

     神さまがどんなにかあなたを愛しておられるかがわかります。

     カルバリーの十字架はあなたのためです。

     カルバリーの十字架の愛は、いわゆるありがたい教えではなく、神さまが現された歴史の事実です。

     

     聖歌 399番をどうぞ


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