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第9課  救いの祝福

※暗唱聖句
 だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。
競灰螢鵐硲機В隠

 この天と地は神さまによって創造され、私たち人間は神さまに似せて造られた神さまの最高傑作、創造の冠であります。ですから、私たちは神が始めに計画されたとおり、愛と平和な世界の中で、神のいのちに満ちて創造的に輝いて生きていくはずでした。ところが罪のために、人間は神さまから離れ、神さまからのすばらしい栄誉を受けられなくなりました。(ローマ3:23)

 しかし、私たちが神さまに立ち返り、天地の神さまとその神さまが遣わした神さまの子、救い主イエス・キリストを信じて生きるとき、もう一度すばらしい、新しい創造のわざがなされるのです。そして本来あるべき栄誉に満ちた輝かしい神さまの子として生きることができるようになるのです。それが救いの祝福にあずかることです。

 では、この課ではその救いの祝福がどのようなものであるかを学びましょう。

  1. それは神さまに選ばれることです。

     「すなわち、神は私たちを世界の基の置かれる前からキリストのうちに選び、御前で聖く、傷のないものにしようとされました。神はただ、みこころのままに、私たちをイエス・キリストによってご自分の子にしようと、愛をもってあらかじめ定めておられたのです。」(エペソ1:4〜5)

     どうぞ深遠な想像をしてください。天地創造の前、永遠の始めに、その永遠にわたる神の果てしなきプランの中であなたがすでに選ばれていたのです。何という尊い救いでしょう。何という私たちは尊い存在でしょう。選びとは神さまの独占的行為です。

     バルセロナ・オリンピックへの女子マラソンの代表選手として松野あけみと有森裕子のどちらが選ばれるか、日本中を湧かせましたが、最終的にオリンピック委員会が独占的に有森を選ぶことによって決定しました。

     では選ばれるのに特別な資格はあるなのでしょうか。一般は選ばれるのは偏差値の高い者、能力のある者、容姿の良い者などです。しかし、神さまの選ばれる資格がたった1つあります。それはひとり子イエスさまの十字架と復活を信じる信仰です。

     しかもその信仰こそあなたが神さまに選ばれている証拠と言えるのです。聖書は「聖霊によるのでなければだれも『イエスは主です』ということはできません。」と言っています。(汽灰螢鵐硲隠押В)

     今日、私たちには信仰の自由が与えられています。神さまのことばは聞こうとすれば聞けます。でも信じるとは限りません。ですから信仰さえも、神さまからの賜物(贈り物)ということができます。では私たちは何もするすべはないのでしょうか。私たちは十字架のイエスさまにおいて明らかに示された神さまの愛を、感謝して素直に受け取る心を用意するだけです。神さまの前に謙虚な心を持つものを神さまは祝福してくださるのです。

     「神は高ぶる者を退け、へりくだる者に恵みをお授けになる。」(ヤコブ4:6)

     そこに信仰が働くのです。

  2. それは新生することです。

     「イエスは答えて言われた。『まことに、まことに、あなたに告げます。人は新しく生まれなければ、神の国を見ることはできません。』」(ヨハネ3:3)

     新しく生まれるということはニコデモのような学者にもわかりませんでした。世の中で立派な人でも、新しいいのちを神から受けて、生まれ変わらない限り、霊の世界のことはまったくわからないのです。みことばに、「人は、水と御霊によって生まれなければ」(ヨハネ3:5)とあるように、新生とは水(みことばを指しています)と御霊によって霊的に新生することです。したがって、クリスチャンには誕生日が2つあります。肉体の誕生日と霊の誕生日です。

     生まれたばかりの赤ちゃんを見ていると、神さまから「3つの力」を与えられている不思議さに気がつきます。「泣き叫ぶ声」「お乳を吸い出す力」「手で握る力」です。霊的に誕生した神の子どもにもこの3つの力が与えられています。「神に祈り、賛美する力」「みことばを慕い求める力」「十字架の愛を信仰によって握る力」です。これによって神さまの子どもも日に日に霊的に成長していくのです。これは私たちが霊的に誕生しているかどうかを判別する決め手にもなります。

  3. それは義と認められることです。

     「すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができず、ただ、神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いのゆえに、値なしに義と認められるのです。」(ローマ3:23〜24)

     これは十字架の課で学びましたので簡単にします。私たちはすべて神さまの前に罪を持った罪人です。しかし罪人である私たちが十字架のイエスさまを信じるとき、裁判官である神さまは私たちに無罪を宣言なさるのです。それが「義と認められる」ということです。

     私たちは行ないによってではなく、キリストの十字架を信ずる信仰のゆえに、一度も罪を犯さなかった者より以上に、義しい者と神さまによって宣告されるのです。

  4. 永遠のいのちが与えられることです。

     「御子を持つ者はいのちを持っており、神の御子を持たない者はいのちを持っていません。」(汽茱魯唯機В隠押

     何と言ってもイエスさまを信じて一番嬉しいことは、いつ死んでも天国へ行けるという確信が与えられることです。70年、80年の肉のいのちではなく、神とともに天国で永遠に生きていくことができる、永遠のいのちを持っている喜びほど、確かな救いはありません。それはただ、御子を持つ(信じる)ことによってのみ与えられるのです。

     有名な一休和尚は、臨終にその枕辺を取り巻く弟子たちに向かって、「ああ、死にとうない。死にとうない。」と言ったということです。

     それに比べてクリスチャンの最後は栄光の輝きに満ちています。

     千葉聖書学院の2期生のうら若き長谷川裕子さんは白血病で苦しんだ末、「美しい天国が見えます。お父さん、お母さん長い間ありがとうございました。」とにっこりほほ笑んで天に召された。娘のあかしを長く拒んでいた、仏教を深く学ぶ千葉警察署署長である父親は、「大の男でも、あれほど立派には死ねない。」と言って砕かれ、受洗し、教会の役員として現在も活躍している。
     全国の少年院の院長を歴任された社会事業家であり、仏教の研究家、小林喜四郎さんは食道癌の手術をして、死の床にあった。のどから出したビニール管をまた、お腹に穴をあけて入れ、食物を摂っていのちをつないでいた。小笠原牧師を呼んで、「私は極悪人ですよ。それでも天国へ行けますか。」と叫んだ。「イエスさまはあなたを天国へ入れたくて、あなたの罪を負って十字架で死んでくださいました。信じますか。」と牧師も叫び返した。小林さんは「はい。信じます。」と答え、その場で洗礼を受けた。「すばらしい天国へ行くのだから。」と言って苦しい食事をことわって、1週間後に天国へ凱旋された。
  5. 神さまの子とされることです。

     「この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には神さまの子どもとされる特権をお与えになった。」(ヨハネ1:12)

     イエスさまによって、(前掲のエペソ1:5)私たちはイエスさまを長男とする、同じ神さまの子どもとされるのです。イエスさまと同じ位置に置かれるのです。何という驚くべき恵みでしょう。 生まれながらの怒りの子(エペソ2:3)、不従順の子(エペソ2:2)、悪魔の子(ヨハネ8:44)であった私たちを養子縁組みしてくださり、実子として同じ扱いをしてくださるのです。

     当然、神さまは子として愛し、子として守り、子として神さまの栄光の富を相続させてくださいます。(ローマ8:17)

     私たちは神さまの豊かな財産、賜物を自分のものとして使い、楽しむことができるようになります。この世界にあるすべてのものが神さまのものであることを受け入れる者は、ものの奴隷にならずに豊かに生きることができます。そればかりでなく、律法主義からも解放されます。恐れをいだかせる奴隷の霊でなく、子としてくださる聖なる御霊によって自由に、正しく、力強く生きることができます。(ローマ8:15)。神さまの子として生き生きと輝いて生きましょう。

     木村末松牧師がアメリカに行ってナイアガラの滝を見ていた時、後ろに立った大柄なアメリカ人が「おい。ジャップ。お前の国にはこんな立派な物はないだろう!」と言った。木村末松は「なーに。これは俺のお父つぁんの庭だよ。」と答えた。驚いたアメリカ人は。「お前はもしや、この地域のインディアンの酋長の息子なのか?」は「いや。私は日本の牧師だ。」二度びっくりした彼は、早速自分の町の教会に招いて、「ナイアガラの滝の持ち主の息子来る。」と町中に看板を立てた。その集会は大盛況であった。

  6. キリストと結合させていただくことです。

     「わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっている」(ヨハネ15:5)

     救われている者はキリストと1つに結合されているのです。聖書に何回も出てくる「キリストにある」という特徴的なことばはこの結合を意味しています。

     私たちは十字架のキリストとともに死に、復活のキリストとともに生きているのです。(ガラテヤ3:19〜20)

 以上のようなことを「私はキリストの中にいる。キリストは私のうちにいる。」とも言います。ある人はこのことの説明に困って、真っ赤に燃えている鉄をさし、「鉄は火の中にある、火は鉄の中にある。わからなければ触ってみろ!と言い放ちました。この真理は体験的にしかわからないものです。信じる者には確かに与えられます。これを媒介するのが御霊です。御霊はみことばと祈りと信者との交わりにおいて神さまのいのちの交流を時時刻刻、通わせてくださるのです。

 そして、だんだんとキリストに似た者となり、神さまの子として輝いて生きることができるようになるのです。「そしてついに、私たちはみな、・・・キリスト様に完全に満たされた状態にまで、成長するのです。」(リビングバイブル・エペソ4:13)

 もう一度暗唱聖句を告白しましょう。 以上6つの救いの祝福をもって、新しく造られた人生を創造的にダイナミックに生きましょう。 永遠のいのち(神さまと同じいのち)を死のかなただけでなく、今ここから豊かに生きて行きましょう。


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