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2026年度
10月のみことば

 私はこう確信しています。死も、いのちも、御使いたちも、支配者たちも、今あるものも、後にくるものも、力あるものも、高いところにあるものも、深いところにあるものも、そのほかのどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません。

ローマ8∶38-39

 日本の社会では、9月は敬老月間と呼んでいます。キリスト教会も、敬老礼拝をささげ、長い信仰生涯を送られた方々に敬意を表します。

 10月には、天に帰られた信徒の方々を追悼する、召天者記念追悼礼拝をささげる教会が多いようです。

 イエス・キリストによって贖われて天に帰られたクリスチャンたちの素晴らしいことは、十字架の死と復活を成し遂げられたこの神を信じた、信じることができた(聖霊によって)ことです。罪人であった者が、主によって、罪の力を乗り越えいのちの主である神との繋がりに今も天にあって生かされ続けているということです。

 私たちはこのようなことを考えたことがあったでしょうか。

 イザヤは「とこしえに聞いたこともなく、耳にしたこともなく、目で見たことがありません。《と預言しています。一方ヨハネは、「このいのち❝イエス❞が現れました、じっと見つめ、自分の手でさわった《と証言しています。

 何が私たちに平安と希望をもたらしているのでしょう。いのちを授けてくださった方が、信じた私たちに対して、ずーっと永遠に関わりを持ち続けてくださるので、確信をもって圧倒的な勝利者ですと宣言できるのではないでしょうか。

 6月に、私は兄を天に送りました。青梅に移って来て、28年余りの信仰生活もアップ・ダウンを繰り返していていたので、兄が召された時私は、とても心配しました。神様にお尋ねしましたところ、『まことにあなたに言います。あなたは今日、わたしとともにパラダイスにいます』(ルカ23∶43)のみことばを与えていただきました。兄の顔は平安そのものでした。キリストさまと共に天国にいる!とのハッキリした確信を受け取りました。

 イエス・キリストの救いの素晴らしさを賛美します。ハレルヤ!

濱野好枝

9月のみことば

 あなたがたは同じ思いとなり、同じ愛の心を持ち、心を合わせ、思いを一つにして、私の喜びを満たしてください。

ピリピ2:2

 ピリピは、BC42年アウグストゥス(アレクサンダー大王)の父フィリッポスによって築かれた都市で、経済的にも豊かな都市でありました。

 AD50年パウロの第2回伝道旅行で誕生した最初の教会です。使徒の働き16章に記されている紫布商人リディアが救われ、パウロとシラスが牢獄に繋がれていた時の看守とその家族が救われて教会の基礎が築かれた教会でした。しかし、

 ピリピの教会に二つの流れがあったようで、善意と愛をもってキリストを宣べるグループと妬みを抱き、党派心をもって伝道する人々があり、この後者はパウロを苦しめようとしたのです。

 ❝妬み❞人間の普遍的な罪の性質であり、❝党派心❞とは、自分を誇示し、自分の勢力を得ようとする分派精神です。これもまたどのような人の心にも奥深く潜んでいるものです。

 キリスト者の生き方の原理は、キリストの喜びが満たされることです。それを忘れてはならないのですが、ピリピの教会の内部に信徒間の上一致があったことが今月のみことばで分かります。

 パウロはこのことを聞き、獄中から、「キリストにあって励ましがあり、愛の慰めがあり、御霊の交わりがあり、愛情とあわれみがあるなら《どうぞ、キリストの思いと姿を思い起こし、一致してキリストの喜びが満たされることに集中してくださいと、懇願しています。

 一致を妨げる『自己中心』、『虚栄』は自分の考えや意見に固執し、メンツを重んじ、見栄をはり、人に相談することを嫌います。もちろん立ち止って御心を求め祈ることをしないのです。

 私たち、救いを受けた者は父なる神に栄光を帰することに励まなければなりません。

 分裂はサタンの思う壺です。主のおいでの近い今、自分を一歩後に退かせ、キリストから示された神の愛に満たされて教会の建て上げに努めましょう。

濱野好枝

8月のみことば

 しかし、わたしが与える水を飲む人は、いつまでも決して渇くことがありません。わたしが与える水は、その人の内で泉となり、永遠のいのちへの水が湧き出ます。

ヨハネ4:14

 サマリアのスカルという場所で、イエス様がヤコブの井戸の傍らに座り、水汲みに来た女性に水を求めた様子が記されています。太陽も昇り、暑い昼下がりです。多くの人は朝水汲みに来て、一日の仕事が始まっている時間です。

 この背景から、この女性は他人と顔を合わせたくないようですね。その上純血を標榜するユダア人は、雑婚の民族であるサマリア人を軽蔑していましたので、この女性はユダヤ人に声を掛けられたことにも驚いています。また水を所望するユダヤ人であるイエス様は、汲む物を持っていないではありませんか。これも驚きでした。一つの物を異邦人と共に使うことば掟を破ることなのですから。

 私(サマリア人の女性)の物て水を飲んでもよろしいのですか。と言っています。

 そのやり取りの中でイエス様は、①もしあなたが神の賜物を知り、②水を飲ませてくださいとあなたに言っている者が誰なのかをしっていたら、あなたの方からその人に水を求めたことでしょう。③そして、その人はあなたに生ける水を与えたことでしょうと、謎めいたことを話されたのです。

 ①の神の賜物は、生ける水であり、キリストが与える水です。かみさまからの賜物の素晴らしさというものを見たり、聞いたりしていない人。生温いと思われる淀んだ水しか知らない人は自分の欠乏感を感じません。「このくらいで精々幸せです。《「世間の人は皆こうやっているではありませんか。《これ以上欲張った事は期待できないということで、願おうとはしません。もし、私たちが生きた滾滾と湧き出る冷たい水を知り、そしてそれを提供してくださる所のイエス様を知るならば、私たちはその時初めて、自分がいかに欠けの多き者であり、どんなに満たされない者であるかという欠乏感、上足感というものを感じ出して願い出ずにはおられないでしょう。

 あなたは如何でしょうか。神の賜物を知っておられますか。生ける水を与えられる方を知っておられますか。生ける水が流れ出る程の満ち溢れた歩みをされていますか。②と③の解答も有りましたね。

 酷暑の日々に主よりのいのちの水を飲んで乗り切りましょう。
祝福をお祈り致します。

濱野好枝

7月のみことば

 主よ、私はあなたのうわさを聞きました。主よ、あなたのみわざを恐れています。この数年のうちに、それを繰り返してください。この数年のうちに、それを示してください。激しい怒りのうちにもあわれみを忘れないでください。

ハバクク3:2

 ハバクク書の預言がなされたのは、アッシリア帝国から新バビロニア帝国の時代への転換期であったと思われます。BC605年のカルケミシュの戦い以後決定的となりましたが、まだそれが明確な事実となっていないことを1章で示しています。

 ハバククは国内外における暴虐と上法を神に訴え、主の裁きを求めました。主からの答えはハバククを驚かせましたが、神との対話の中でハバククは信仰の確信へと導かれ、悪の滅びと神の民の回復を望み見て、主への感謝と賛美を捧げるに至ります。

 ハバクク書の主題"信仰による生き方"であると言えるでしょう。聖書の中の詩は、詩篇が最も有吊ですが、短い書ですが、力強いためにハバククの歌は有吊です。イザヤのような大胆さで、荘厳でその著しく感傷的なことは、エレミヤ以上であります。その神への真実はダビデに類似し、神に対する信頼の大胆さはパウロに等しい。特に3章の全能の神を記述する豪壮さは聖書全巻の中にも比べるものがない。と聖書学者ムーアヘッドは語っています。

 神との問答か(1:2~11)、(1:12~2:4)にあります。目の前の問題から目を離して、神に目を向け神に期待する態度です。視点を転換して、神の視点から物事を見直すことが大切なのです。ハバククは現実の上条理を、どうせ世の中そんなものだと諦めたり、反対に自分の判断で裁いたりせず、あくまでも神によって答えを得ようと求めました。信仰による生き方が表されています 。"現実を超えてなお神を信じて立つ信仰"です。

 信仰によって生きる(ローマ1:17,ガラテヤ3:11,ヘブル10:38)聖書のこのみことばこそ、福音の中心的真理として、ルターによって再び発見され、すべての時代に生きて悪の問題に悩む魂に、光となぐさめをもたらす偉大なメッセージとなりました。

 ハバククが教えているのは、身体の中のあらゆる本能が悲しみ叫んでいる時でも、神にあって喜ぶということなのです。「主にあって喜ぶ《ー神だけか可能にしてくださることを体験したからこそです。

 皆様も、神を喜ぶ、救いの神を喜ぶ生涯を歩んでいきませんか。祝福をお祈りします。

濱野好枝

6月のみことば

 兄弟たち、自分たちの召しと選びを確かなものとするように、いっそう励みなさい。

2ペテロ1:10

 5月はペンテコステの記念日がありました。6月は、私たちホーリネスの群れでは弾圧の月として、毎年淀橋教会で「弾圧記念聖会《を開いています。

 昭和17年、キリスト教会に対して弾圧が行われました。そのことを覚え忘れないため、弾圧記念聖会を開いて、当時宗教弾圧を受けた牧師、信徒の子孫、関係者が証ししてくださいます。私たちの群れも例外ではありませんでした。

 森五郎先生、井上かおる先生も弾圧を受け、森先生の長女谷中さかえ先生は、捕らえられた日の様子、拘置所での森先生の様子、出所の時の姿など繰り返しお話してくださいました。96年を経ていますが、教会が私たちが祝福で満ち満たされその後に、サタンの逆襲と言いますか、悪の力が襲いかかるということなのでは、と思います使徒の働きにとてもよく記されています。

 今月のことばのペテロの手紙を記したペテロを知っておられますか。イエス・キリストが十字架に附けられ前、イエス様を3度否みそのことを予告され涙を流したペテロ、復活の主から3度の新しい任命委託されたのです。

 この使命を果たすことができたのはペンテコステで、聖霊の注ぎを受けたことにより変えられキリストを大胆にあかしする者となったのです。初代キリスト教会の監督としてペテロの手紙を現わしました。

 64年ローマ皇帝ネロの宗教弾圧(当時キリスト教は、新興宗教として疎まれていました)で、キリスト教徒は、とても書くことの出来ない処刑方法で、処刑されたのでした。ネロ皇帝の政治失策の濡れ衣を着せられたのです。パウロは斬首、ペテロは逆さ十字架で処刑されたと伝えられています。

 ペテロは、この手紙で主から受けた任命を読者に伝えています。私たちを奮い立たすこと、を真理を思い起こすこと、自分の選ばれたこと召されたことを確かなものとするように勧めています。

 私たちも、このみことばを通して力強い者、人を励ます者になりましょう。

濱野好枝

5月のみことば

 道々お話くださる間、私たちに聖書を説き明かしてくださる間、私たちの心は内に燃えていたではないか。

ルカ24:32

 人の子は必ず罪人たちの手に引き渡され、十字架につけられ3日目によみがえると言われたでしょう。とイエスが言われた通り復活された午後のことでしょうか。 エルサレムから11㎞ほど離れたエマオに向かう二人の弟子が話し合いながら歩いていました。

 そこにイエス様ご自身が近づいて来られて、共に歩き始め二人に質問をされました。「語り合っているその話は何のことですか。」と。

 質問された二人は暗い顔つきで立ち止まってしまいました。イエス・キリストに対する期待は、イスラエルをローマの支配から救う方なのに、その上十字架の惨たらしい死を遂げられた、これにはガッカリしてしまったという姿なのです。その上、墓に行った女たちから、御使いがイエス・キリストは復活して生きていると告げられたと言うのです。

 イエス様は二人の話を聞きつつ、モーセ五書から始めて聖書全体について書かれていることを説き明かしました。段々日も傾いてきました。イエス様は先に進みそうでしたので、二人は引き留めて、家に招き入れて食事を提供することにしたのです。

 イエス様は出されたパンを裂き、祝福(祈り)し二人に渡されました。

 その時かれらの目は開かれたと記されています。思い出したのです。最後の晩餐でパンを裂いた時、五千人に給食した時のイエス様のことを。

 彼らの目が開かれたときには、イエス様の姿は見えなくなったのです。二人の弟子はまた驚いたのです。「道々お話くださる間、私たちに聖書を説き明かしてくだ さる間、私たちの心は内に燃えていたではないか。」と。

 聖書のみことばは、私たちの心を燃やします。そればかりではありません。直ちに立ち上がり、証しするようになります。この二人の弟子は、燃え付いた火が行動へと移っていきました。

 ぺテロは2ぺテロ1:12‐13で、このように語っています。ぺテロが神から与えられた使命と堅く信じていましたと告白しています。

 「……与えられた真理に堅く立っているとは言え、私はあなたがたに、それを何時も思い起こさせるつもりです。それを思い起こさせ、あなたがたを奮い立たせることを、私は地上の幕屋にいる限りなすべきだと思っています。」

 みことばによって、心燃えて、神がなさったことを思い起こすことができるなら、幸いですし、奮い立って進み出せるようにしたいと思います。みことばは、立ち上がらせてくださいます。思い起こさせます。奮い立たせてくださいます。

 そのような月とさせていただきましょう。祝福を祈ります。

濱野好枝

4月のみことば

 イエスは大声で叫ばれた。「ラザロよ、出て来なさい。《

ヨハネの福音書11:43

 ラザロの死の記事の中のイエス・キリスト様の一つ一つのことばを見る時、主なるお方は自分の時を弁えているので、弟子たちが「先生。ついこの間ユダヤ人たちがあなたを石打ちにしようとしたのに、またそこにおいでになるのですか。《(8節)のことば、又マリヤマルタ姉妹の「主よ。もしここにいてくださったなら、私の兄弟は死ななかったでしょうに。《(21節)のことばに、真に揺るがされることなく、父なる神の導きのままに進んでいかれたことが分かります。

 ですから「もう一度ユダヤに行こう《ということは覚悟してのことであり、自ら十字架の死に向かってのことばでした。ラザロの死と甦りを語りながら、そこにイエスの死と甦りの栄光が重ね合わせになるように記しているのです。

 ここで確認しておきたいのは、ユダヤ人が喪に朊する期間は30日間であることが、モーセの死(申命記34:8)、アロンの死(民数記20:29)等に記されています。ラザロの死で姉妹マリヤマルタを慰めるため多くのユダヤ人が嘆き悲しんでいる様子があります。泣き女まで連れてきて嘆き悲しむのも普通のことでした。

 そのような中、僅か2、3キロ程の距離のベタニヤに、イエス様は「ラザロが病気です《と伝えられても直ぐには行こうとされません。その間にラザロは死に、墓に葬られ4日も経ってイエス様は来られたのです。

 ラザロの死を悼んで泣いている人々に対して霊の憤りを覚えたイエス様の形相はどうだったでしょうか。

 『ラザロよ、出て来なさい。』のイエス様の大声の叫びでラザロは墓から出て来ました。

 このラザロの甦りの様子を見て、多くのユダヤ人がイエスを信じた。と記されています。神の素晴らしい御業を通し、イエスを信じる信仰に導かれること、これが神の御心なのです。

 『甦り』こそ人類の最大の恐怖-死-の力を打ち破る神の力そのものです。♪イースター♪貴方もこの神の恵みを受け取っていただきたいと願います。

 祝福をお祈りいたします。

濱野好枝

3月のみことば

 使徒信条抜粋
主は聖霊によりてやどり、処女マリヤより生れ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ、死にて葬られ、陰府にくだり、三日目に死人のうちよりよみがえり、天に昇り…。

 使徒信条の大部分を割いている、神の独り子なるキリストについてお話したいと思います。

 この使徒信条は、洗礼を受けるときの信仰告白文として2世紀制定されました。私たちが受洗する時、司式者が受洗者に問いかけ、答えた体験をしましたね。

 洗礼の時の3つの質問があります。
①あなたは全能の神を信じますか。
②あなたはイエス・キリストを救い主として信じますか。
③あなたは聖霊と教会と罪の赦しを受け止めましたか。

 当時グノーシス主義という異端がはびこっていましたので、正しい聖書信仰に立つための武器が『使徒信条』であったのです。

 イエス・キリストが、預言の通り処女降誕でこの地上に来られました。当時イスラエルはローマの支配下にありましたので、イスラエルは総督ピラトが治めていました。そのピラトの下で「自らを神とした」罪状で、イエス・キリストは十字架につけられました。

 疲労困憊の中で十字架につきました。しかし、罪の罰をご自分の身に一身に受けつつ、七つのことばを残されました。
1-「父よ彼らを置赦しください。彼らは自分が何をしているのかが分かっていないのです。」
2-「まことに、あなたに言います。あなたは今日わたしとともにパラダイスにいます。」
3-「女の方、ご覧なさい。あなたの息子です。」 「ご覧なさい。あなたの母です。」
4-「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」(わが神、わが神どうしてわたしをお見捨てになったのですか)
5-「わたしは渇く」
6-「完了した」
7-「父よ、わたしの霊をあなたの御手にゆだねます」

 私たちに赦しを与えるために、最後の瞬間までこれらのことばを私たちに苦しみの中、絞り出すよう告げられました。

 主が埋葬された園の墓は空っぽです。死の苦しみに繋がれておられません。甦られました。その復活の姿、その体は多くの人々に40日間に渡って示されたのです。

 イエス・キリスト、この吊を信じる私たちに神は、最後の敵である死も恐れることなく、希望を抱いて喜び歩むよう導いてくださっておられます。

 祝福が皆様の上に豊かに注がれますように!

濱野好枝

2月のみことば

 このイエスを神はよみがえらせました。私たちはみなこのことの証人です。

使徒の働き2:32

 ロイド・ジョーンズが「教会のすべての問題は、彼らが(クリスチャン)教会の本質を把握していないことにある。」と言ったそうですが、どうやって教会の本質を把握できるでしょうか。『聖書に戻る』ことです。

 「伝道に於いても、人々の要望を優先事項におくことや、伝統主義を持ち出してしまって間違ったアプローチをしている」と、ロイド・ジョーンズは言ったそうです。

 今月のことばを語ったぺテロは、聖霊の力によって宣言しました。イエス・キリストが十字架に附けられ前と甦られたイエス様に出会てから又、神から降った聖霊に満たされたぺテロの大いなる変化はどうでしょう。

 人々はぺテロの説教で心刺され、悔い改めバプテスマを受けました。その日3000人の人が共同体の交わりに加わりました。

 みことばを通して、神の国の正しい理解理解による交わりと共パンをさき(聖餐に与る)、心を合わせて祈りました。

 その場所に神を畏れ、敬う心が満ちたのです。その所は、喜びと感謝に満ち溢れ、他の人への心遣いが自然に起こされるという好循環が生まれてきました。

 私たち一人一人、又教会もこのような目標を掲げて歩みたいと思います。

濱野好枝

1月のみことば

 神のなさることはすべて時にかなって美しい。神はまた、人の心に永遠を与えられた。

伝道者の書3:11

 新年おめでとうございます。

 恵みの冠を私たちに神が授けてくださり、喜び溢れます。

 今月のことばは、今年の八王子教会のテーマ聖句です。
イザヤ書には、「あなたがたは目を高く上げて、だれがこれらを創造したかを見よ」と記されていますが、私たちはどのくらい上を見上げる習慣があるでしょうか。もちろん空もですが、心の目を天地創造の神に向けることを意識的にしているでしょうか。

 心の目を神に向けるよう、この年習慣付けてみるようにしましょう。

 この世界の支配者である神に心を向けるとき、色々なサゼションが与えられると思います。人生は順風満帆ではありません。困難、苦しみ、恐れに囲まれることもしばしばです。その様な時、呟き上満愚痴が出て怒り暴力に発展することもあるでしょう。

 しかし、私たちの心の中心に『神は私に最善をしておられる』と神の摂理の御手の中に、神の最善がなされることを確信し、信頼するならば、心に大船に乗った心地する平安が訪れ、委ねきることができます。

 神のなさることは、その時その時美しいと形容されるほど素晴らしいものとなります。そればかりでなく、永遠に向かっての希望が与えられます。

 これから先など見極められない愚かな私たちですので、すべてを動かし、支配しておられるお方に身を委ね、安心してこの年を歩んでいこうではありませんか。

 皆様お一人お一人の上に2026年に素晴らしい神の祝福、恵みが注がれますことを心よりお祈り申し上げます。

 神様のお心は、私たち一人一人皆幸せで神様の愛の中に憩うこと、それが願いなのですから。

濱野好枝

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