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| 6月のみことば |
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兄弟たち、自分たちの召しと選びを確かなものとするように、いっそう励みなさい。 |
| 2ペテロ1:10 |
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5月はペンテコステの記念日がありました。6月は、私たちホーリネスの群れでは弾圧の月として、毎年淀橋教会で「弾圧記念聖会」を開いています。 昭和17年、キリスト教会に対して弾圧が行われました。そのことを覚え忘れないため、弾圧記念聖会を開いて、当時宗教弾圧を受けた牧師、信徒の子孫、関係者が証ししてくださいます。私たちの群れも例外ではありませんでした。 森五郎先生、井上かおる先生も弾圧を受け、森先生の長女谷中さかえ先生は、捕らえられた日の様子、拘置所での森先生の様子、出所の時の姿など繰り返しお話してくださいました。96年を経ていますが、教会が私たちが祝福で満ち満たされその後に、サタンの逆襲と言いますか、悪の力が襲いかかるということなのでは、と思います使徒の働きにとてもよく記されています。 今月のことばのペテロの手紙を記したペテロを知っておられますか。イエス・キリストが十字架に附けられ前、イエス様を3度否みそのことを予告され涙を流したペテロ、復活の主から3度の新しい任命委託されたのです。 この使命を果たすことができたのはペンテコステで、聖霊の注ぎを受けたことにより変えられキリストを大胆にあかしする者となったのです。初代キリスト教会の監督としてペテロの手紙を現わしました。 64年ローマ皇帝ネロの宗教弾圧(当時キリスト教は、新興宗教として疎まれていました)で、キリスト教徒は、とても書くことの出来ない処刑方法で、処刑されたのでした。ネロ皇帝の政治失策の濡れ衣を着せられたのです。パウロは斬首、ペテロは逆さ十字架で処刑されたと伝えられています。 ペテロは、この手紙で主から受けた任命を読者に伝えています。私たちを奮い立たすこと、を真理を思い起こすこと、自分の選ばれたこと召されたことを確かなものとするように勧めています。 私たちも、このみことばを通して力強い者、人を励ます者になりましょう。 |
| 濱野好枝 |
| 5月のみことば |
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道々お話くださる間、私たちに聖書を説き明かしてくださる間、私たちの心は内に燃えていたではないか。 |
| ルカ24:32 |
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人の子は必ず罪人たちの手に引き渡され、十字架につけられ3日目によみがえると言われたでしょう。とイエスが言われた通り復活された午後のことでしょうか。 エルサレムから11qほど離れたエマオに向かう二人の弟子が話し合いながら歩いていました。 そこにイエス様ご自身が近づいて来られて、共に歩き始め二人に質問をされました。「語り合っているその話は何のことですか。」と。 質問された二人は暗い顔つきで立ち止まってしまいました。イエス・キリストに対する期待は、イスラエルをローマの支配から救う方なのに、その上十字架の惨たらしい死を遂げられた、これにはガッカリしてしまったという姿なのです。その上、墓に行った女たちから、御使いがイエス・キリストは復活して生きていると告げられたと言うのです。 イエス様は二人の話を聞きつつ、モーセ五書から始めて聖書全体について書かれていることを説き明かしました。段々日も傾いてきました。イエス様は先に進みそうでしたので、二人は引き留めて、家に招き入れて食事を提供することにしたのです。 イエス様は出されたパンを裂き、祝福(祈り)し二人に渡されました。 その時かれらの目は開かれたと記されています。思い出したのです。最後の晩餐でパンを裂いた時、五千人に給食した時のイエス様のことを。 彼らの目が開かれたときには、イエス様の姿は見えなくなったのです。二人の弟子はまた驚いたのです。「道々お話くださる間、私たちに聖書を説き明かしてくだ さる間、私たちの心は内に燃えていたではないか。」と。 聖書のみことばは、私たちの心を燃やします。そればかりではありません。直ちに立ち上がり、証しするようになります。この二人の弟子は、燃え付いた火が行動へと移っていきました。 ぺテロは2ぺテロ1:12‐13で、このように語っています。ぺテロが神から与えられた使命と堅く信じていましたと告白しています。 「……与えられた真理に堅く立っているとは言え、私はあなたがたに、それを何時も思い起こさせるつもりです。それを思い起こさせ、あなたがたを奮い立たせることを、私は地上の幕屋にいる限りなすべきだと思っています。」 みことばによって、心燃えて、神がなさったことを思い起こすことができるなら、幸いですし、奮い立って進み出せるようにしたいと思います。みことばは、立ち上がらせてくださいます。思い起こさせます。奮い立たせてくださいます。 そのような月とさせていただきましょう。祝福を祈ります。 |
| 濱野好枝 |
| 4月のみことば |
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イエスは大声で叫ばれた。「ラザロよ、出て来なさい。」 |
| ヨハネの福音書11:43 |
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ラザロの死の記事の中のイエス・キリスト様の一つ一つのことばを見る時、主なるお方は自分の時を弁えているので、弟子たちが「先生。ついこの間ユダヤ人たちがあなたを石打ちにしようとしたのに、またそこにおいでになるのですか。」(8節)のことば、又マリヤマルタ姉妹の「主よ。もしここにいてくださったなら、私の兄弟は死ななかったでしょうに。」(21節)のことばに、真に揺るがされることなく、父なる神の導きのままに進んでいかれたことが分かります。 ですから「もう一度ユダヤに行こう」ということは覚悟してのことであり、自ら十字架の死に向かってのことばでした。ラザロの死と甦りを語りながら、そこにイエスの死と甦りの栄光が重ね合わせになるように記しているのです。 ここで確認しておきたいのは、ユダヤ人が喪に服する期間は30日間であることが、モーセの死(申命記34:8)、アロンの死(民数記20:29)等に記されています。ラザロの死で姉妹マリヤマルタを慰めるため多くのユダヤ人が嘆き悲しんでいる様子があります。泣き女まで連れてきて嘆き悲しむのも普通のことでした。 そのような中、僅か2、3キロ程の距離のベタニヤに、イエス様は「ラザロが病気です」と伝えられても直ぐには行こうとされません。その間にラザロは死に、墓に葬られ4日も経ってイエス様は来られたのです。 ラザロの死を悼んで泣いている人々に対して霊の憤りを覚えたイエス様の形相はどうだったでしょうか。 『ラザロよ、出て来なさい。』のイエス様の大声の叫びでラザロは墓から出て来ました。 このラザロの甦りの様子を見て、多くのユダヤ人がイエスを信じた。と記されています。神の素晴らしい御業を通し、イエスを信じる信仰に導かれること、これが神の御心なのです。 『甦り』こそ人類の最大の恐怖-死-の力を打ち破る神の力そのものです。♪イースター♪貴方もこの神の恵みを受け取っていただきたいと願います。 祝福をお祈りいたします。 |
| 濱野好枝 |
| 3月のみことば |
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使徒信条抜粋 |
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使徒信条の大部分を割いている、神の独り子なるキリストについてお話したいと思います。 この使徒信条は、洗礼を受けるときの信仰告白文として2世紀制定されました。私たちが受洗する時、司式者が受洗者に問いかけ、答えた体験をしましたね。 洗礼の時の3つの質問があります。 当時グノーシス主義という異端がはびこっていましたので、正しい聖書信仰に立つための武器が『使徒信条』であったのです。 イエス・キリストが、預言の通り処女降誕でこの地上に来られました。当時イスラエルはローマの支配下にありましたので、イスラエルは総督ピラトが治めていました。そのピラトの下で「自らを神とした」罪状で、イエス・キリストは十字架につけられました。 疲労困憊の中で十字架につきました。しかし、罪の罰をご自分の身に一身に受けつつ、七つのことばを残されました。 私たちに赦しを与えるために、最後の瞬間までこれらのことばを私たちに苦しみの中、絞り出すよう告げられました。 主が埋葬された園の墓は空っぽです。死の苦しみに繋がれておられません。甦られました。その復活の姿、その体は多くの人々に40日間に渡って示されたのです。 イエス・キリスト、この名を信じる私たちに神は、最後の敵である死も恐れることなく、希望を抱いて喜び歩むよう導いてくださっておられます。 祝福が皆様の上に豊かに注がれますように! |
| 濱野好枝 |
| 2月のみことば |
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このイエスを神はよみがえらせました。私たちはみなこのことの証人です。 |
| 使徒の働き2:32 |
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ロイド・ジョーンズが「教会のすべての問題は、彼らが(クリスチャン)教会の本質を把握していないことにある。」と言ったそうですが、どうやって教会の本質を把握できるでしょうか。『聖書に戻る』ことです。 「伝道に於いても、人々の要望を優先事項におくことや、伝統主義を持ち出してしまって間違ったアプローチをしている」と、ロイド・ジョーンズは言ったそうです。 今月のことばを語ったぺテロは、聖霊の力によって宣言しました。イエス・キリストが十字架に附けられ前と甦られたイエス様に出会てから又、神から降った聖霊に満たされたぺテロの大いなる変化はどうでしょう。 人々はぺテロの説教で心刺され、悔い改めバプテスマを受けました。その日3000人の人が共同体の交わりに加わりました。 みことばを通して、神の国の正しい理解理解による交わりと共パンをさき(聖餐に与る)、心を合わせて祈りました。 その場所に神を畏れ、敬う心が満ちたのです。その所は、喜びと感謝に満ち溢れ、他の人への心遣いが自然に起こされるという好循環が生まれてきました。 私たち一人一人、又教会もこのような目標を掲げて歩みたいと思います。 |
| 濱野好枝 |
| 1月のみことば |
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神のなさることはすべて時にかなって美しい。神はまた、人の心に永遠を与えられた。 |
| 伝道者の書3:11 |
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新年おめでとうございます。 恵みの冠を私たちに神が授けてくださり、喜び溢れます。 今月のことばは、今年の八王子教会のテーマ聖句です。 心の目を神に向けるよう、この年習慣付けてみるようにしましょう。 この世界の支配者である神に心を向けるとき、色々なサゼションが与えられると思います。人生は順風満帆ではありません。困難、苦しみ、恐れに囲まれることもしばしばです。その様な時、呟き不満愚痴が出て怒り暴力に発展することもあるでしょう。 しかし、私たちの心の中心に『神は私に最善をしておられる』と神の摂理の御手の中に、神の最善がなされることを確信し、信頼するならば、心に大船に乗った心地する平安が訪れ、委ねきることができます。 神のなさることは、その時その時美しいと形容されるほど素晴らしいものとなります。そればかりでなく、永遠に向かっての希望が与えられます。 これから先など見極められない愚かな私たちですので、すべてを動かし、支配しておられるお方に身を委ね、安心してこの年を歩んでいこうではありませんか。 皆様お一人お一人の上に2026年に素晴らしい神の祝福、恵みが注がれますことを心よりお祈り申し上げます。 神様のお心は、私たち一人一人皆幸せで神様の愛の中に憩うこと、それが願いなのですから。 |
| 濱野好枝 |